〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-\』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻六) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/12/20 (火) 

若 菜 ・下 (七)
十月二十日のことですから、神社の玉垣たまがきくず の葉も色が変わり、松の下葉も紅葉していて、風の音だけに秋を感じたという古歌とはちがって、紅葉の色にも秋の気配を知るのでした。
大仰な高麗こま唐土もろこし の雅楽よりも、東遊あずまあそび の耳馴れた音楽は、なつかしく面白く波風の声に響き合って、あの小高こだか い松を吹き鳴らす風の音に合わせて吹きたてている笛の音も、よそで聞く調べとは違って身にしみます。中でも和琴わごん に合わせる拍子も、太鼓を使わずに調子を整えているのが、大げさでないのも、優艶で、ぞっとするほどすばらしく興趣深く感じられ、場所が場所だけに、いつもよりは一段とすぐれて聞こえるのでした。
舞人たちの着ているほう は、山藍やまあい で竹の模様を摺ってありますので、松の緑に見まちがいます。挿頭かざし の花のさまざまな色目いろめ は、秋の草花とどこが変わっているのかけじめがつかないので、眼の映るすべてが紛らわしく目先がちらつくようです。 「求子もとめご 」 の曲の終る頃に、若い上達部が袍の肩を脱いで庭に降りて舞われます。今まで何の艶もない黒い袍だったのに、蘇芳襲すおうがさね葡萄染えびぞめ の袖が、急に袍の肩を脱いだものだから、ほころばしたように上半身があらわれて、真紅の下着のたもと に、さっと時雨しぐれ が降りかか、ほのかに濡れた気配は、ここが松原であることも忘れて、紅葉が散るのを見るような思いがします。その人々は皆見栄えする容姿で、まっ白に枯れたおぎ を高々と挿頭かざし にさして、ただ一さしだけ舞って戻っていくのは、たいそう面白く、飽きずに見とれているのでした。

源氏の院は、昔のことを自然お思い出しになられて、ひところ不運な境遇に沈淪ちんりん なさった時節のことも、まるでたった今のことのように感じられますのに、その当時のことを、心置きなく語り合える人もここにはいないので、今では辞職なさった太政大臣を、恋しく思いやられるのでした。奥へお入りになりまして、
たれかまた 心を知りて 住吉すみよし の 神代かみよ を経たる 松にこと問ふ
(わたしとあなたのほぁに誰がまた 昔の事情を知っていて 住吉の社頭の年経る松に あの頃のことを尋ねる者が あることでしょう)
と、御畳紙たとうがみ にお書きになって、尼君の乗っている第二の車にそっとお届けになりました。それを拝見して、尼君は涙にむせびます。こうした源氏の院のはなやかなお栄えの時世にあうにつけても、明石に浦で、もうこれが最期と、源氏の院にお別れした時のことや、明石の女御がまだ母君のお腹にいらっしゃった当時の有り様などが思い出されます。それにつけても、なんというもったいなくも仕合せすぎる今の自分の運命だろうと感じ入るのでした。
俗世を捨てて深い山奥に隠れてしまわれた夫の入道のことも恋しく、あれこれともの悲しい気分に引き込まれますのを、一方では涙は縁起でもないと思い直して、今日はめでたい日なので慎重に言葉を選び、
住の江を いけるかひある なぎさ とは 年 るあまも 今日や知るらむ
(この住吉の花を 生き甲斐のある 縁起のよい浜だとは 長らくここに住みなれた海人あま も 今日はじめて知ることでしょう)
お返事に手間どっては、失礼に当たろうと、ただ心に浮んだままを、尼君はお返ししたのでした。
昔こそ まづ忘られね 住吉の 神のしるしを 見るにつけても
(昔の明石のことがまず 忘れられないのです こうして住吉の神の あらたかな霊験を 見るにつけましても)
とひとり口ずさむのでした。
一晩中、歌舞の遊びでお明しになりました。二十日の月は空高くはるかに澄んで、海の表面は月光にきらめきはるばると眺め渡されますのに、浜には霜が厚く置いて、松原も霜の色と紛れるほど白く、あらゆるものが、何となく身にしみ寒々として、情趣も哀れさも、ひとしお深く感じられます。
紫の上は、いつもお屋敷の内で。四季折々に催される風雅な音の遊びを、朝夕聞き馴れ見馴れていらっしゃいましたが、お邸の外での見物はほとんどなさらず、ましてこうした都の外への御旅行は、まだはじめての御経験なので、すべてのことが珍しく、面白くお感じになられるのでした。
住の江の 松に夜ぶかく 置く霜は 神のかけたる 木綿ゆふ かずら かも
(住の江の松に深夜おりた 清らかな白い霜は 住吉の神がかけられた 木綿ゆう かずら でしょうか 何と神々しいこと)
という紫の上のお歌は、小野篁おののたかむら が、比良ひら の山の雪を木綿鬘ゆうかずら にたとえて、<比良の山さへ木綿鬘せり> と詠んだ雪の朝の景色を御想像になりますと、この祭を住吉の神が御嘉納になられたあかし の霜かと思われて、ますます頼もしく思われます。
明石の女御は、
神人かみびと の 手にとりもたる 榊葉さかきば に 木綿ゆふ かけそふる ふかき夜の霜
(神官たちが手に捧げ持つ 清浄な榊の葉の上に さらに木綿をかけ添えたように 夜ふけの霜が白く清らかに 置いていることよ)
とお詠みになりました。紫の上の女房の中務なかつかさ の君も、
祝子はふりこ が 木綿うちまがひ 置く霜は げにいちじるしき 神のしるしか
(神主たちが捧げる木綿かと 見まちがうばかりに 白く置いた霜は 仰せのように神の御嘉納の あきらかな証でしょう)
と詠み、つづいて次々数知れず詠まれましたけれど、何もいちいち覚えておくこともないでしょう。こうした場合の歌は、いつもお得意らしくお詠みになる殿方も、案外出来栄えがぱっとしないで、 「松の千歳ちとせ 」 といった決まり文句より外の、新しい趣向もありませんので、書き記すのも面倒でして。
源氏物語 (巻六) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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