〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-\』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻六) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/12/18 (日) 

若 菜 ・下 (六)
源氏の院は、住吉すみよし の神に立てた願ほどきの御参拝を、そろそろなさろうとお考えになります。また明石の女御の将来の御祈祷のためにもお詣りなさろうとして、例の明石の入道の願文を収めた箱をあけて御覧になりますと、数々のたいそうな大願を書き記してあります。
毎年春と秋の神楽かぐら の奉納に、いつも、かならず子々孫々の未来の繁栄のことまで加えて祈った数々の願文などは、たしかに、源氏の院の今のような御威勢でなければ、とても願ほどきは出来そうにない分相応の大望ばかりでした。ただ走り書きにした無造作に見える文面は、学識の程もしのばれる立派なものでした。神仏もお聞き入れ下さるに違いないと思われるはっきりした言葉づかいなのでした。
「どうしてあのような山伏の世捨て人の心に、こんな数々の願望を考えついたのだろう」
と、源氏の院は哀れにも、身分不相応な大望とも御覧になります。入道は前世からの因縁があって、しばらく仮にこの世に、人間として生まれ変わってきた前の世の修行僧ででもあったのだろうか、などと源氏の院は御思案なさいますと、ますます入道を軽々しくはお思いになれないのでした。
今度は、この入道の願ほどきという御趣旨は表向きになさらず、ただ御自分の御参詣ということにして御出発になりました。
あの浦伝いに須磨すま明石あかし と流浪なさいました頃に、お立てになった多くの願は、すでに皆願ほどきはおすましになりましたけてど、その後もこうして世に栄えておいでになり、このような、東宮や女御たちの栄華をお極めになるのを御覧になっていらっしゃっるにつけても、住吉の神の御加護は忘れられず、紫に上も御一緒にお連れして御参詣になるのでした。その噂に沸いた世間の騒ぎときたら一通りではありません。出来る限り万事質素になさり、世間の迷惑にならぬようにと簡略におさせになりましたけれど、御身分が御身分なので、格式に決まりがあり、またとなくきらびやかなこととなりました。
公卿も、二人の左右大臣以外は、残らずお供申し上げます。舞人は衛府えふ次将すけ たちの中から、容貌の整った上に、背丈の揃った者ばかりをお選びになります。この選に洩れたのを恥として、悲嘆に暮れている芸熱心の者も大勢いるのでした。楽人がくにん も、石清水いわしみず 八幡宮や賀茂かも 神社の臨時の祭などに奉仕させる人々の中から、それぞれの楽器に特に優秀な者ばかりをお揃えになりました。それに臨時に加わった二人の楽人は、近衛府の評判の高い名手ばかりをお召しになりました。御神楽のほうには、たいそう大勢がお供申し上げています。
帝、東宮、冷泉院の殿上人が、それぞれに分かれてまめまめしく御奉仕申し上げます。数限りもなく、人それぞれに華美を尽くした上達部の御馬やくら 、馬に付き添う従者や、護衛の供人、小舎人こどねり わらわ 、それ以下の舎人とねり などまで、皆立派に着飾って、整然と行列しているのは、またとないすばらしい見物でした。
明石の女御と紫の上は、一つ車に御一緒にお乗りになりました。次の御車には明石の君、それに尼君もこっそりお乗りになっています。
女御の御乳母も事情を知っている者だからというので御一緒に乗せていただきました。
それぞれのお供の女房の車は、紫の上のが五台、明石の女御のが五台、明石の君御一族のが三台、目もまばゆいばかりに飾りたてた女房の衣装や、その様子は言うまでもありません。実は源氏の院が、
「同じことなら、尼君の寄る年波の顔のしわ がのびるくらいに、女御の御一族らしく立派に支度させてお詣りさせよう」
と仰せになったのです。それを明石の君が、
「この度は、こうして世間じゅうの大評判になった盛大な御参詣ですから、それに立ちまじるのは御遠慮されるのがよろしいでしょう。もし将来、願い通りのおめでたい時世がまいるまで生きながらえておりましたら、その折にでも」
と、尼君の同行をお止めになったのでしたが、尼君は余生もいつまでのことかと不安で、また一方ではともかく御盛儀を拝ませていただきたくて、ついていらっしゃったのでした。
当然の宿縁によって、もともとこうして栄華の極みに咲き匂っていらっしゃる方々よりも、いっそうすばらしい世にも稀な幸運が納得される尼君のお身の上なのでした。
源氏物語 (巻六) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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