〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-\』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻六) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/12/16 (金) 

若 菜 ・下 (二)
その帰り、ついでに東宮の御殿へお立ち寄りになりました。東宮は女三の宮とは御姉弟ですから、当然女三の宮に似ていらっしゃるところがおありだろうと、気をつけて拝見しますと、やはり輝くようなお顔立ちというのではありませんが、やはり東宮という御身分のお方だけに、さすがに格別、高貴に優雅でいらっしゃいます。
帝のお飼い遊ばしている猫のたくさん生んだ仔猫たちが、方々に貰われていって、東宮の御殿にも来ています。柏木の衛門の督は、いかにも可愛らしい様子で歩いている仔猫を見るにつけ、まずあの女三の宮の唐猫からねこ が思い出されますので、
「女三の宮御殿にいる猫といったら、ほんとうに珍しい顔付きをしていて、可愛らしゅうございましたよ。ほんのちらりと見ただけでしたが」
と申し上げます。東宮は殊の外猫がお好きな御性分なので、詳しくお尋ねになります。
「あれは唐猫でして、こちらの猫とは違っていました。猫は皆同じようなものですけれど、その猫のように性質がよく人懐ひとなつ っこいのは、妙に心惹かれるものでございます」
など、東宮が興味をお持ちなさるように、上手に申し上げます。東宮はこの話をお聞きになられてから、明石あかし の女御を通じて、その猫をお求めになりましたので、女三の宮はさし上げられました。
「ほんとうになんて可愛らしい猫でしょう」
と女房たちが喜んで、おもしりがっているところへ、柏木の衛門の督が少し日をおいてやって参りました。東宮が自分の話で、あの猫を欲しがられたと見てとって、たぶん猫をお貰い受けになっているにちがいないと察してのことでした。この衛門の督は少年の頃から、朱雀院すざくいん がとりわけお目をかけて召し使っていらっしゃったので、院が御出家の後は、またこの東宮にも親しくお出入りしてお仕えしていたものでした。お琴などお教え申し上げるついでに、
「お猫がたくさん集まっていますね。どこにいるのでしょう。あのわたしの見たお方は」
と猫どもを見まわしてお見つけになりました。とても可愛らしくてたまらない気がして、その猫を でてやっています。東宮も、
「ほんとうに可愛らしい猫だね。まだなつきにくいのは、知らない顔がいると思って人見知りしているのだろうか。でも、ここに前からいる猫たちだって、これにそう見劣りはしないよ」
と仰せになります。衛門の督は、
「猫には人を見分ける心などはめったにないものですが、それでもその中の賢い猫は、自然しんな分別がそな わるものでしょう」
などとおっしゃって、
「これよりいい猫がたくさんお側にいるようですから、この猫はしばらくわたしがお借りしてお預かりさせていただきましょう」
と申し上げます。一方、内心ではあまりにも馬鹿げたことをすると、思わずにはいられません。
衛門の督は、こうしてとうとうその猫を手に入れて、夜も添い寝なさいます。夜が明ければ明けたで猫の世話を焼いて、撫でさすって非常に可愛がって飼っておらrうぇます。人になつかなかった猫も、今ではすっかりなついて、どうかするとお召物の裾にまつわりつき、側に寄り添って寝て甘えたりしますのを、衛門の督は心からいとしいとお思いになります。ひどく物思いに沈みながら、縁先近くに物に寄りかかって横になっていらっしゃると、猫が側に来て、
{ねうねう」
と、とても可愛らしく鳴きますので、撫でてやりながら、
「寝よう、寝よう、なんて、ずいぶん気の早いものだね」
と思わず笑みがこみあげてきます。
恋ひわぶる 人のかたみと 手ならせば なれよ何とて 鳴く なるらむ
(やるせなく恋いこがれている あの方をしの ぶよすがに お前を撫でいつくしんでいると どうしてそいんな鳴き声をたてて いっそう切ながらせるのか)
「これも前世の因縁なのだろうか」
と、猫の顔を見ながらおっしゃいますと、猫はまします可愛らしい声で鳴き甘えますので、ふところ に入れて、まt物思いに沈み込んでいらっしゃいます。ふる い女房たちなどは。
「不思議なことがあるものですね。急に猫をお可愛がりになるなんて。動物など今までちっともお好きじゃない御性分だったのに」
と不審がるのでした。
東宮から猫を返すように御催促がありましてもお返しせず、ひとり占めにして、この猫ばかりを話相手にしていらしゃいます。
源氏物語 (巻六) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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