〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-\』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻六) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/12/10 (土) 

若 菜 ・上 (四十四)
夕霧の大将は、柏木の衛門の督と一つ車に同乗して、その道すがらずっと話しつづけられます。衛門の督が、
「やはりこの公事の閑な所在のない時には、六条の院に伺って気晴らしするのがいいですね」
と言いますと、夕霧の大将が、
「今日のようなゆっくりした時間をみつけて、花の盛りを逃さずまた来るようにと源氏の院がおっしゃっていましたが、春を惜しみながら、三月中に、小弓を持って、いらっしゃいませんか」
などと御相談して、お約束なさいます。お互いお別れまでの車中、ずっと話しをつづけられました。
柏木の衛門の督は、女三の宮のお噂をやはりしたかったので、
「源氏の院は、今でも紫の上の所ばかりにいらっしゃるようですね。紫の上への御寵愛が特別なのでしょう。いったい女三の宮はどんなお気持でいらっしゃるのでしょう。朱雀院が、どなたより大切になさってずっと甘やかしていらっしゃったのに、六条の院では、それほどでもない御待遇で、お気持が沈んでいらっしゃるだろうと、お気の毒でなりません」
とよけいなことを言いますので、夕霧の大将は、
「とんでもない。どうしてそんなことがあるものですか。紫の上は、普通と変わった事情で小さい時からお育てになったため、親しさも自然それだけ他の方とは違うだけのことです。源氏の院は女三の宮を、何につけても、格別大切にお思いになっていらしゃいますのに」
と話されますと、柏木の衛門の督は、
「いや、そんなことは言わせませんよ。何もかも知っています。すっかり聞いていますとも。とてもお気の毒な御様子の時がよくおありだそうですよ。それにしても、並々でなく朱雀院がお可愛がるになったお方ですのに、あまりにひどいお扱いじゃありませんか」
と、女三の宮に同情します。
いかなれや 花に づたふ うぐひす の 桜をわきて ねぐらとはせぬ
(花から花へと 梢を渡っていく鶯は なぜ多くの花々のなかで 桜だけを選んで 自分のねぐら としないのか)
「春の鳥が、桜の枝ひとつに止まろうとしない浮気な心よ。わたしはまったく不思議でならない」
と独り言のように口ずさまれるので、夕霧の大将は、何とまあ不愉快なおせっかいをするものだ、これではやはり、推量した通りだったと、思います。
深山みやま に ねぐら定むる はこ鳥も いかでか花の 色に飽くべき
(奥山の古い深山みやま を 自分の塒と決めている 美しいはこ鳥も どうして美しい桜の花に 飽くことがあろうか)
「むやみなことをおっしゃいますな。そう一方的に決め込んではいけませんよ」
とお答えになって、面倒なので、それ以上は女三の宮のことは言わせないようにしました。話をほかに紛らわせて、それぞれお別れになりました。
源氏物語 (巻六) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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