〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-\』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻六) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/12/09 (金) 

若 菜 ・上 (四十三)

源氏の院がこちらを御覧になって、
上達部かんだちめ の席が階段では端近はしぢか すぎて、たいそう軽々しい。どうぞこちらへ」
とおっしゃって、東の対の南面みなみおもて にお入りになりましたので、皆そちらへお越しになります。螢兵部卿の宮も席をお改めになって、お話しがはずみます。それ以下の殿上人は、簀子すのこ円座えんざ を敷いてお坐りになり、さり気ないふうに、椿餅つばいもち 、梨、蜜柑みかん のようないろいろなものを、様々な箱のふた に盛り合わせてあるのを、若い人たちは、はしゃぎながら取って頂きます。適当な干物くらいをさかな にして、お酒を召し上がります。
柏戸の衛門の督は、すっかり沈み込んで、ともすれば庭の桜に目をあてて、心も空にぼんやりしています。夕霧の大将は事情をお察しになって、あや しかったあの一瞬に、目をよぎった御簾の中の人影の、幻のようだったのを思い浮かべていらっしゃるのだろうかと想像なさいます。
「それにしても、あまりにも端近にいらっしゃった女三の宮の御様子を、はしたないと感じもしただろう。いやもう、こちらの紫の上などは、決してあんなふうな軽率なことはなさらないだろうに」
と思われるにつけ、だからこそ女三の宮は世間の声望の高い割には、源氏の院の御寵愛がなまぬるいように見えるかもしれないと、考え合わせて納得なさいます。やはり御自分に対しても、人に対しても、万事につけて心配がたりず、幼稚すぎるのは、可愛らしいようでも、危なっかしくて安心ならないと、心の内に女三の宮を軽んじるお気持にもなります。
柏木の衛門の督にほうは、女三の宮のすべての欠点も一向に顧みるゆとりもなく、思いがけない御簾の隙間から、ほのかにお姿をお見かけしたことにつけても、自分が昔からお慕いしていた真心が通じたのではないかと、前世からの宿縁も深いような気持がして、限りなく嬉しくお思いになるのでした。
源氏の院は、昔の思い出話をなさりはじめて、
「太政大臣が、あらゆることでわたしを相手に勝負を争ったなかで、蹴鞠だけは、わたしがとてもかな わなかった。こういうちょっとした遊戯などには、別に伝授の秘法もないだろうけれど、やはり上手の血筋は争えないものですね。今日のあなたの蹴鞠は、実に鮮やかで、とても見つくせないほど見事でしたよ」
とおっしゃいます。柏木の衛門の督は苦笑して、
「大事な公の政務といった面では劣っているわが家の家風が、こうした蹴鞠の技に吹き伝わったところで、子孫にとっては格別のこともございませんでしょう」
と申しますと、
「とんでもない、どんなことでも人に優れている点では、記録して後世に伝えるべきものです。あなたの蹴鞠の腕前も家伝などに書き込んでおいたら、おもしろいだろう」
などと冗談をおっしゃる御様子が、輝くばかりにお美しいのです。それを拝見するにつけても、
「こういうすばらしい方を夫として常に見馴れていては、どうしてほかへ心を移すお方がおありになろう。せめてどうすれば、自分を可哀そうにとあわ れんで下さるほどにでも、お心をこちらへなびかせることが出来るだろうか」
などと、あれこれ思案をすればするほど、ますます女三の宮のお側に近づき難い自分の身の程もこの上なく思い知らされて、ひたすら胸が悩みで一杯になり、退出なさいました。

源氏物語 (巻六) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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