〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-\』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻六) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/12/07 (水) 

若 菜 ・上 (四十一)

三月頃の空がうららかな日、六条の院に、ほたる 兵部卿ひょうぶきょうみや や、柏木の衛門の督などが参上なさいました。源氏の院がお迎えになり、世間話などなさいます。
「閑静なこのあたりに住んでいると、この時節などが最も退屈で気を紛らすことも出来ず困っていました。公私とも平穏無事でひま だし、何をして今日一日を暮せばいいのだろうね」
などとおっしゃって、
「今朝、夕霧の大将が来ていたが、どこへ行ったのかな。ほんとうに退屈で淋しいから、いつものように小弓でも射させて見物すればよかった。小弓を好きそうな若者たちも来ていたのに、惜しいことに帰ってしまっただろうか」
とお尋ねになります。夕霧の大将は、東北の町で、蹴鞠けまり をさせて見物していらっしゃると、お聞きになって、
「蹴鞠は、騒々そうぞう しいものだけれど、技量の差がはっきりして、活気がありおもしろい。どうだろう、こちらでやらせては」
とおっしゃって、お招きになりましたので、夕霧の大将たちはこちらへお越しになりました。若公達わかきんだち らしい人々が大勢います。源氏の院は、
「鞠は持って来ましたか。誰と誰が来ているのか」
とおっしゃいます。夕霧の大将が、これこれの者が参っておりますとお答えになりますと、
「こちらへ来てはどうか」
と、源氏の院はおっしゃいます。寝殿の東側は、明石の女御の御座所でしたが、ちょうど、若宮をお連れになって、東宮のところへ参内なさったお留守なので、ひっそりとして静かでした。
遣水やりみず の流れが行きあたった広々としたあたりに、風情のある蹴鞠の場所を見つけて、そこへ集まります。
太政大臣の子息たちの、とうべん兵衛ひょうえすけ大夫たいふきみ など、すこし年かさの人々も、まだ少年じみた者もそれぞれに、ほかの人たちよりは、蹴鞠の技量うで は飛びぬけて優れていらっしゃる方ばかりです。
ようよう日の暮れかかる頃、風もなく蹴鞠には絶好の日よりなので興にのって、弁の君も我慢しきれず仲間に入りました。源氏の院は、
「弁官でさえ身分を忘れてじっとしておれないのだから、上達部かんだちめ であっても、若い衛府司えふづかさ たちは、なぜもっと羽目を外さないのだろう。わたしもこれくらいの若い年頃には、不思議に、ただ見物しているだけでは、残念だった。それにしてもおおの遊びは、何と騒々しいことだ、まったくこの有り様は」
などとおっしゃいます。夕霧の大将も、柏木の衛門の督も、皆庭に下りて行き、言葉もないほど美しい桜の花のもとを逍遥しょうよう なさいます。折からの夕映えに浮き立ってそのお姿は、それはそれは美しく見えます。
蹴鞠はあまり見た目のいいもの静かな遊びとは言えない、騒々しい落ち着きのないもののようですが、それも場所柄や人柄によるようです。趣のある庭の木立には濃いかすみ がたちこめ、木々の花々はさまざまの色にほころび、若葉の薄緑がちらほら萌え出た木蔭でこうしたちょっとした遊戯でも、技の上手下手を競い合って、自分こそは負けまいと気負っている顔のなかに、柏木の衛門の督が、ほんのお付き合い程度に仲間入りなさいます。鞠を蹴るその足さばきに、並ぶ人は一人もないのでした。容姿がさえざえと清らかで、優雅な風情ふぜい のある人が、体の動きにひどくきを配りながら、それでもさすがに活き活きと活躍する姿は、実にお見事なものでした。

源氏物語 (巻六) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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