〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-\』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻六) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/12/05 (月) 

若 菜 ・上 (四十)
夕霧の大将は、女三の宮との結婚を全くお考えにならなかったわけでもありませんでしたので、そのお方がすぐ身近においでになることに、とても平静ではいらっしゃれなせん。一通りの御用にかこつけては、女三の宮の御殿の方に、折あるごとに度々参り馴れていらっしゃいます。自然、女三の宮の御様子やお人柄などを見聞きなさいますと、ただたいそう初々ういうい しくおっとりとしていらっしゃるばかりです。人目につく表向きの儀式だけはいかめしく、世間の前例にも大切にかしずかれていらっしゃいますけれど、どうやらしてほど際立って奥床しいとおいふうにも見えません。
女房なども、しっかりした年配の者は少なく、年の若い器量のいい者たちが、ひたすらはなやかない浮き浮きとしてお酒好きに見えるようなのが数も知れないほど、たくさん集まってお仕えしていて、何の屈託もなさそうな御殿に見えます。とはいえ何事も静かに落ち着いた人柄の女房もいて、そんな人たちは心の内を露骨に人には見せません。たとえ人知れぬ悩みを抱いているとしても、楽しそうに、何の心配もなさそうにしている人々の中にまじれば、まわりの人に引かれて、同じように花やいだ雰囲気に調子を合わせますので、こちらでは、明けても暮れても、たわいない遊びに女童めのわらわ たちが夢中になっている始末です。源氏の院は、それを困ったことだと御覧になることも度々おありですけれど、何事によらず一律に物事をお考えになったり、おっしゃったりなさらない御性分なので、こういうことも自由にさせて、そんなこともしたいのだろうと、大目に御覧になって、叱ったり改めさせたりはなさいません。
ただ、女三の宮御本人のお振る舞いや御態度だけは、しっかりと、教えておあげになりますので、少しは大人らしさをお身につけられたようでした。
こうした御様子を、夕霧の大将も御覧になって、ほんとうに、理想的な女君はめったに世の中にはいらっしゃらないものだ。それにつけても紫の上のお心がけといい、御態度といい、この長い年月の間にも、いまだに、何かと人の噂の口の端に上るようなことは一切なく、もの静かなことを第一として落ち着いていらっしゃって、お心がお優しく、人をないがしろになさらず、御自身も大切になさり、気品高く、奥ゆかしく振舞っていらっしゃるのはさすがだ、と感心なさいます。
五年前の野分のわき の夕暮、垣間かいま た紫の上の面影も忘れることが出来なくて、しきりに思い出されます。御自分の北の方、雲居くもいかり の君をも、深く愛していらっしゃるのですが、この方は打てば響くような魅力のある才覚などはございません。大将は今ではもう平穏な結婚生活にあぐらをかき、毎日見馴れている北の方にも関心が薄らぎ、やはり、このように様々の方が集まっていらっしゃる六条の院の女君たちが、とりどりに御立派で魅力的でいらっしゃるのに惹かれて、内心ひそかに関心を捨てきれないのでした。まして女三の宮は、御身分を考えても、この上なく格別の高貴なお方なのに、源氏の院は御寵愛に格別のお扱いをなさる御様子でもなく、世間の手前ばかりを飾っているだけだと、ほんとうの事情が呑みこめてきますと、別に大それた気持を抱いているわけでもないのに、もしかして、お顔を拝する機会がありはしないかと、慕わしく思っていらっしゃるのでした。
柏木かしわぎ衛門えもんかみ も、朱雀院すざくいん にいつも参上して、親しくお仕え馴れていた人なので、女三の宮を朱雀院がどんなにお可愛がるになり、大切にお育てなさっていらっしゃったかを、よくよく見知っておりました。様々な御縁談の婿選びがあった頃から、いち早く求婚を申し出て、朱雀院の方でも、あき れた出過ぎ者とは思し召しにはならず、お口にも出してはいらっしゃらないと聞いていましたのに、こうして、期待とは遠い、こちらへ御降嫁なさっておしまいになりましたので、大変残念で胸も切なく痛むようで、今だに諦め切れません。
その当時から馴染みになってた女房のつてで、女三の宮の御様子などを伝え聞くのを、慰めに思うのも、はかない話でした。
「女三の宮は、紫の上の御威勢には、やはり負けていらっしゃる」
と世間でも噂しているのを聞いては、
「畏れ多いことだけれど、わたしがいただいていたら、女三の宮にそんな御苦労はおさせしないものを。女三の宮はいかにも比類のない御身分だから、わたしにはふさわしいお相手ではないだろうけれど」
と、いつも小侍従こじじゅう という宮の乳母子めのとご の女房を責め立てて、
「それにしてもこの世は無常で定めないものだから、源氏の院がもし、かねて御宿願の出家をお遂げになるようなことがあったら」
と、油断なく思いつめて、小侍従のあたりなどを歩き廻っているのでした。
源氏物語 (巻六) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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