〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-\』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻六) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/11/27 (日) 

若 菜 ・上 (三十四)
尼君には別にくわ しいことは書かず、ただ、
「この三月の十四日に、草の庵を出て深い山奥に籠ります。生きていても役に立たないこの身を、熊や狼にでも施してやりましょう。あなたは、なお生きていて望み通り若宮の御代になるのを見届けて下さい。極楽浄土でまたお逢いしましょう」
とだけ書かれています。
尼君はこの手紙を見て、その文使いに来た僧に、入道の様子を尋ねますと、
「このお手紙をお書きになられて、三日目に、あの人も通わぬ山奥にお移りになりました。拙僧らもお見送りに、山のふもと までは行きましたが、入道は、皆お帰しになって、僧を一人と、童子二人だけをお供に連れて入山なさいました。昔御出家なさいました時も、悲しさはこれが最後だと思っておりましたが、悲しみはまだ一つ残っていたのです。長年の勤行の暇々に、物に寄りかかってかき鳴らしていられたきん のおこと と、琵琶びわ をお取り寄せになり、ひとしきりお弾きになって、御仏みほとけ にお別れを申し上げてから、その楽器を御堂に喜捨なさいました。そのほかの財宝なども、ほとんど寄進なさいまして、その残りを弟子たち六十人あまり、親しい者どもばかりがまだお仕えしておりましたのに、それぞれの分に応じて形見分けなさいました。その上でまだ残ったものを、京の方々のお使い料としてお送りになられました。今はもうこれで最後と、お籠りになって、あのような遙かな山の雲霞くもかすみ の中に入っておしまいになりました。その後お姿のないところに空しく留まって、悲しんでいる者も大勢おります」
などと言います。この僧侶も、子供の頃、入道に従って京から下って来た人で、今は老法師になって、明石の浦に残っているので、入道との別れをたいそう悲しみ、心細がっているのでした。釈尊しゃくそん のお弟子の尊い聖さえ、釈尊の御霊みたま が永遠に霊鷲山りょうじゅせん にいらっしゃると、確かに信じながらも、釈尊の涅槃ねはん の夜の悲しみは深かったのですから、まして尼君が入道のことを聞いて限りなく悲しまれたことは当然です。
明石の君は、明石の女御のいらっしゃる南の御殿においででしたが、
「こういうお便りがありました」
と知らせましたので。こっそり尼君のところへお越しになりました。今では若宮の祖母として重々しく振舞っていらっしゃいますので、よくよくのことでなければ、尼君と往き来してお会いになることもむつかしいのですが、悲しいお便りがあったと聞いて、気がかりなので、人目を忍んでおいでになったのです。見ると尼君はひどく悲しそうな様子でいらっしゃいました。
燈火ともしび を近く取り寄せて、明石の君がそのお手紙を御覧になりますと、あふれ出る涙はほんとうにせきをとめるすべもないのでした。他人なら、何とも感じないようなことでも、子としてはまず過ぎ去った昔のことが次々に思い出され、恋しくてなりません。ついに再び父上にお会い出来ないまま永久とわ のお別れになってしまったのかと、その遺言を御覧になると、悲しくてたまらず何とも言いようがありません。
明石の君は涙を止めることも出来ない悲しみの中にも、手紙の夢の話を一方では期待して、末頼もしく思うのでした。
「父上の頑固で偏屈なお心から、わたしをとんでもない身分不相応な源氏の君に縁づけて、思いもかけない不安な運命に迷わせると、一時は父を恨み苦しんだこともあったけれど、それもこんなはかない夢をあてにして、理想を高く持っていらっしゃったからだったのだ」
と、はじめて今、理解できました。
源氏物語 (巻六) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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