〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-\』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻六) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/11/26 (土) 

若 菜 ・上 (三十二)

三月の十日過ぎに、明石の女御は御安産なさいました。お産の前には、仰々しく大騒ぎして御心配なさいましたけれど、それほどお苦しみになることもなく御安産の上、お生まれになったのは男御子でさえいらっしゃいましたので、何から何までお望みどおりで、源氏の院もすっかり御安堵あんど なさいました。
何分こちらの御殿は、裏側の町で、人気ひとけ に近い端近なあたりですから、盛大な御産養おんうぶやしな いの御祝いなどが次々と続いて、その賑々しさの盛んではなやかな有り様は、尼君のとっては、いかにも 「かひある浦」 と詠んだ歌のように見えましたが、こうした所では人目にもつかづ、儀式を行うにはあまり適当でありませんので、女御は東南の町の寝殿へお帰りになることになりました。
紫の上も産屋うぶや へお見舞いにいらっしゃいます。白い御衣装をお召しになって、いかにも産婦の母親といった御様子で、若宮をしっかりと抱いておいでになるお姿の、何とお美しいこと。紫の上御自身はお産の御経験もなく、人のお産などもこれまで見たことはありませんので、生まれたばかりの赤ん坊がたいそう珍しくて、可愛らしくお思いになります。若宮はまだお扱いにくい時ですのに、紫の上がずっとお抱きになって放されないので、ほんとうの祖母君の明石の君は、ただ紫の上におまかせしきって、お湯殿のお世話などに御奉仕いたします。
東宮の宣旨せんじ典侍ないしのすけじ が、お湯をお使わせします。明石の君がその介添えの役を御自分でなさるのも、典侍は深く胸を打たれる思いがします。内々の事情も少しは知っていますので。もし明石の君に少しでも欠点があれば女御にとってお気の毒なことでしょうけれど、明石の君は、驚くほど気高くて、なるほど、こういうような深い特別の御宿縁に恵まれたお方なのだと、お見受けするのでした。
この間の儀式なども、いちいちそのまま書きますのも、殊更らしいというものでしょう。
生後六日目に、女御と若君は、東南の町の御自分の御殿にお帰りになりました。
七日目の夜には、帝からも御産養おんうぶやしな いを賜りました。朱雀院があのように、御出家なさっていらっしゃるので、その御代理なのでしょうか、蔵人所から、とうべん が宣旨を承って、例にないほど盛大に御奉仕なさいました。
ろく の衣装などは、別に秋好む中宮の御方おんかた からも、公の御祝儀以上に立派にしてお贈りになります。次々の親王みこ たちや、大臣の家々でも、その当座はお祝いにかかりきりで、我も我もとあらん限りの善美を尽くして御奉仕なさいます。
源氏の院も、この度の何度かの儀だけは、四十の御賀の時のように簡素にはなさらず、世間に例のないほどの盛大さが大評判になり大騒ぎになりましたので、内々の優美で繊細な風流の、後々までそのまま伝えておきたいような点は、それに紛れて人目にもつかずじまいになってしまいました。
「夕霧の大将がたくさん子供を作っているのに、今だに見せてくれないのが恨めしかったけれど、ここにこんな可愛らしい宮を授かった」
と、お可愛がりなさいますのも、ごもっともなことです。
若宮は日ましに、ものを引き伸ばすようにお育ちになります。御乳母なども、気心の分からない者をあわてて召されるようなことはなさらず、お仕えしている女房たちの中から、家柄や、性質のいい者ばかりを選りすぐって、お仕えさせになります。
明石の君のお心くばりが行き届いていて、品格もあり、大様でありながら、適当な時には、謙遜して、小憎らしく出しゃ ったりしないのを、ほめない人はありません。
紫の上も、改まった形でなく、それとなくお逢いになって、あれほど許せない人とお思いだったのに、今では若宮のお蔭で、明石の君をたいそう親しく、大切な人とお思いになるようでした。もともと紫の上は非常に子供好きな御性質で、厄除やくよ け用の 人形など、御自身でいそいそと作り、忙しがっていらっしゃるのも、ほんとうに若々しくお見えになります。このところは明けても暮れても、この若宮のお世話で日を過ごしていらっしゃいます。
あの古風な尼宮は、ゆっくりと若宮を拝見できないのを、不満と思っています。なまじ若宮を一度拝見したばかりに、それ以来恋しさに堪えかねて、せつなさに命も落としかねないような有り様です。

源氏物語 (巻六) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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