〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-\』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻六) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/11/19 (土) 

若 菜 ・上 (二十九)

夕霧の右大将は、御賀の場を六条の院の東北の町に設けられました。派手にならないように、内々にとりなされましたけれど、今日はやはり儀式も普通と違って盛大になります。あちらこちらでの饗応の宴なども、内蔵寮くらづかさ穀倉院こくそういん に御奉仕させられます。
弁当などは宮中の饗宴と同様、頭の中将が勅命で御用意いたしました。
出席者は親王たち五人、左右大臣、大納言二人、中納言三人、宰相五人、そのほか殿上人は、例のように宮中、東宮、院などからすべて参上しましたので、残る方はほとんどありませんでした。
源氏の院のお座席や、御調度類などは、太政大臣が細々こまごま と勅命を承って、御用意なさいました。また当日は勅命によって御出席になります。
源氏の院もたいそう畏れ多いことと恐縮なさいまして、御席にお着きになりました。母屋もや の源氏の院のお座席と差し向かいに、太政大臣のお席があります。この大臣はたいそう美しく堂々と太っていらっしゃいますので、この方こそ、今が絶頂の貫禄と老成したコを具えられた人物とお見えになります。
主人側の源氏の院は、相変らずどこまでもお若い頃の源氏の君のようにお見受けします。
御屏風四帖に、帝が御自身で御染筆になりました。その唐の薄萌黄うすもえぎ 色の綾絹にえが かれた、下絵の模様など、極めて勝れています。
風雅な四季の景色の彩色画などよりも、この御屏風の文字の墨色が輝くばかりにお見事なのには目もくら むばかりで、それが御宸筆しんぴつ と思うだけで、いっそうすばらしく感じられるのでした。
物置の御厨子や、絃楽器、管楽器などは、宮中の蔵人所くろうどどころ から拝領しました。
夕霧の右大将の御威勢も、非常に盛大におなりになりましたので、それも加わって、今日の儀式は格別御立派なのでした。
御賀のお祝いに帝から拝領した御馬四十疋を、左右の馬寮めりょう六衛府ろくえふ の官人らが、上位の者から下位の者へと、次々に庭上に き並べる頃には、日が暮れ果ててしまいました。
いつものように万歳楽まんざいらく や、賀王恩がおうおん などという舞楽の舞が、御祝儀として形ばかり舞われ、今日は、和琴わごん の名手の太政大臣が御臨席なので、久しぶりに一段と興をお添えになった音楽のお遊びのほうに、どなたも皆、熱中なさるのでした。
琵琶は、例の螢兵部卿の宮で、この宮は何につけても世にたぐい 稀な名手でして、誰もかな う者がありません。源氏の院のお前には琴のおこと が置かれ、太政大臣は和琴をお弾きになります。源氏の院は、長年にわたり大臣が稽古の苦労を積まれたのだとお思いになって聞くせいか、またとなく優美な音色に聞こえ、しみじみと感慨深くお感じになります。御自身もきん の秘術を少しも惜しまず御披露なさって、言いようもなくすばらしい音色をいろいろと奏でられました。
お二人の間では昔の思い出話なども出てきて、今はまた、こうした御親密な御間柄なので、どちらのご縁から言っても、睦まじくお付き合いいたしましょうなど、たの しく談笑なさいます。お盃を幾度もお重ねになって、その場の興の尽きることもなく、お二人とも酔いのあまり、感涙を抑えかねていらっしゃいます。
源氏の院から、太政大臣への贈り物として、名器の和琴一張りに、御愛用の高麗笛こまぶえ を添えて、さらに紫檀したん の箱一つい に、数々の唐の漢字の手本や、わが国の草書の手本などを入れて、お帰りのお車まで追いかけてさし上げました。帝より御下賜の御馬を迎え頂き、右馬寮うめりょう の役人たちが高麗楽こまがく を演奏して賑やかなことでした。六衛府の役人たちへの数々の禄は、夕霧の大将がお与えになります。
源氏の院の御意向によって、万事簡素になさり、大仰なことは今度のお祝いではお控えになりましたけれど、帝、東宮、朱雀院、秋好む中宮をはじめ、次々に御縁者が最高の方ばかり堂々とお揃いですから、その盛大さは筆舌に尽くすこともできません。その御様子は、やはりこうした場合には、この上なくめでたく結構なことと思われます。
源氏の院の御子息としては、夕霧の大将ただ一人しかいらっしゃらないので、物足りなく淋しい感じがなさいますが、この大将は多くの人々に抜きん出て、世間の信望も格別によく、人柄も肩の並ぶ者がいないほど立派でいらっしゃいます。あの御生母のあおいうえ と、伊勢に行かれた六条の御息所との確執が深く、源氏の院との愛を争われた当時の、お二人の御運勢の結果が、それぞれのお子たちの今の身の上となって、さまざまにこうした形で栄えていらっしゃるのでした。
その日の夕霧の大将の御衣装などは、こちらの花散里の君お調えになりました。禄の品々については、大方、三条の北の方の雲居の雁の君が御用意なさったようです。
その折々につけての六条の院での御催そ事にも、内輪の善美を尽くしたお支度にも、花散里はなちるさと の君は、これまでずっと御自分には縁のない他人事ひとごと のようにばかり過ごしてこられたのでした。どんなことがあってもこうした御立派な方々との晴れがましいお付き合いは、まず無縁だろうと思われていましたのに、夕霧の大将との御縁で、今ではお幸せにも立派な重々しいお扱いをお受けになられたのでした。

源氏物語 (巻六) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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