〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-\』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻六) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/11/12 (土) 

若 菜 ・上 (二十六)

明石の女御は、実の母君の明石の君よりも、紫の上のほうに親密感を抱いて頼りにしていらしゃいます。紫の上も、女御がたいそう可愛らしく前よりもずっと大人びていらっしゃったのを、心の底から実の子のようにいとしく思われて御覧になります。尽きないお話しをやさしくお互いになさってから、紫の上は中の戸を開けて、女三の宮にもお目にかかりました。
女三の宮はたしかにただ幼く、可憐な御様子なので、紫の上は気がお楽になられて、年上らしくまるで母親のように、おふたりのお血筋の縁故などをたどって、話しておあげになります。
中納言の乳母という者をお呼び寄せになって、
「同じ先祖のつながりを辿たど ってゆきますと、畏れ多いことですが、女三の宮さまとわたしとは切っても切れない御縁があるのです。これまで御挨拶の機会もなくて失礼しておりました。これからはどうかお心おきなく、東の対の方へもお出かけ下さいまし、わたし方に不行き届きな点がありましたら遠慮なく御注意なさって下さいますと、どんなに嬉しゅうございましょう」
などとおっしゃいますと、中納言の乳母は、
「こちらの姫宮さまは頼みとなさる御方々に、それぞれ先立たれ遊ばしまして、心細そうでいらっしゃいます。只今こうした御親切なお言葉を頂戴いたしますと、何にも増して有り難く存じられます。御出家遊ばしました朱雀院の御意向も、あなたさまからこのように何のお心隔てもなくお親しくしていただき、まだ幼くていらっしゃる宮さまのお世話をお願い申し上げたいとのおつもりだったのでございましょう。わたしどもにも内々にそのようにお話し遊ばし、あなたさまをお頼り申し上げておいででございました」
などと申し上げます。紫の上は、
「朱雀院から本当に畏れ多いお手紙を頂戴いたしましてからは、何とかしてお力になりたいと思っておりましたけれど、何事につけても、人数ひとかず にも入れない自分なのが口惜しゅうございまして」
と、おだやかに落ち着いた様子で対応なさる一方、女三の宮にも、お気に入るように、物語絵のことや、いつになってもまだ御自分がお人形遊びを楽しんでいらっしゃる御様子などを、いかにも子供っぽくお話しなさいますので、女三の宮は、
「ほんとうにたいそう若くて気立てのよさそうな人だこと」
と、無邪気なお心にも、安心なさるのでした。

さてその後は、始終お手紙のやりとりがあるようになり、風流な遊び事のあえう折にも、仲良くお手紙で誘い合わせていらっしゃいます。
世間の人々も、困った事にこうした高貴な御身分の方々のことは、とかく噂したがるものですから、初めの頃は、
「紫の上はどんなお気持でいらっしゃることやら」
「源氏の院の御寵愛も、とてもこれまでと同じとはいかないだろう。少しは衰えることだろう」
などと噂していましたのに、むしろ前より一段と源氏の院の御寵愛が深くなって、女三の宮をお迎えになってから、かえっていやまさる様子なのです。それにつけても今度はまた女三の宮に御同情して色々おだやかでない噂をする人々もいますが、お二人がいかにもむつ まじいお付き合いをなさるので、いや な噂もたち消えてしまって、万事まる く収まっていくのでした。
十月には、紫の上が源氏の院の四十の御賀のために、嵯峨野さがの の御堂で薬師仏の御供養をなさいました。大がかりな法会ほうえ は、源氏の院が固くお止めなさいますので、万事内輪に、ひかえ目に御計画なさいました。薬師仏は、経典を入れる箱、経巻を包む竹の などの立派さは、まるで極楽もこういうものかと想像されます。
最勝王経さいしょうおうきょう金剛般若経こんぎょうはんにゃきょう、寿命経などがあげられて、まことに盛大な御祈願の法会でした。上達部かんだちめ たしも非常に大勢参列いたしました。御堂のあたりの風景は言いようもなく美しく、紅葉の蔭をたどって行く嵯峨野の野辺をはじめとして、すべてが今見頃なので、半分はその景色に惹かれて、人々が競ってお集まりになるのでしょう。はるばると霜枯れた野原一帯に、馬や車の行き交う音がしきりに響いています。
御誦経みずきょう のお布施を、六条の院の女君たちは。我も我もと御立派になさいました。

源氏物語 (巻六) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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