若 菜
・上 (二十二) | 源氏の院は、昔、逢瀬
がどんなに無理な時でさえ、秘密に心を通わし、忍び逢ったこともあったのに、いくら何でも御出家遊ばした朱雀院に対して後ろめいたようだけれど、二人の仲は昔もあったことだし、今になってさもきっぱりと潔白に見せたところで、一度立った二人の浮き名が、今更取り返せるわけでもないだろうに、と気を取り直されて、この和泉の守を案内役にして、二条の宮にお越しになりました。紫の上には、 「二条の東の院にいらっしゃる末摘花すえつむはな
の君が、このところずっとご病気だったのに、何かと忙しさにまぎれて見舞っていないので、お気の毒でしてね、昼間などは人目に立ちながら行くのも都合が悪いから、夜の暗いうちに、こっそり訪ねようと思います。誰にも見舞いに行くとも知らせないつもりです」 とお話しして、ひどくそわそわしていらしゃいます。紫の上は、いつもそれほどに気にもかけていらっしゃるとは思えないお方のことを、急にまたどうしてと、不審に思われました。さてはと、ふりかえって思い当たることもありましたけれど、女三の宮の御降嫁があって以来は、何事に対してもそう今までのように嫉妬もなさらず、少し水臭い気持が生まれていて、そ知らぬふりをしていらっしゃいます。 いよいよその日は、女三の宮のおいでになる寝殿にも行かれないで、お手紙だけやりとりなさいます。 御衣装に薫物たきもの
を念入りに薫きしめらてたりして一日を過ごされ、夜の更けるのを待って、気心の知れた供四、五人ばかりをつれて、昔のお忍び歩きが偲ばれるような、目立たない網代車あじろぐるま
でお出かけになります。和泉の守をやられて御挨拶をさせます。 こうして源氏の院がお忍びでお越しになったことを、取次ぎの女房がそっとお伝えしますと、朧月夜の君は驚かれて、 「変だこと、いったい何とお返事申し上げたの」 と、御機嫌をそこねられました。中納言の君が、 「もったいぶって御目にもかからずすげなくお帰しするのは、失礼に当たりましょう」 と言って、無理な工夫をめぐらして、源氏の院を朧月夜の君がいらっしゃる東の対たい
にお入れ申し上げます。 源氏の院がお見舞いの御挨拶などなさってから、 「ほんの少し、ここまでおでまし下さい。せめて物越しにでも、もう決して昔のような怪け
しからぬ心などは微塵みじん も残っていませんから」 と、切々とお訴えになりますと、朧月夜の君は、溜息をもらされながら、にじり出ていらっしゃいました。 「やはりこうだ。靡なび
き易さは昔のままなのだから」 と源氏の院は逢いたいと思う一方で考えていらっしゃいます。お互いに並々でない間柄でしたので、かすかな身じろぎをなさっても気配でそれとわかり、恋しさも格別です。 そこは東の対なのでした。東南の廂ひさし
の間にお座を設けて、襖ふすま
の端はしっかりと留めてあるので、源氏の院は、 「まるで若者扱いのなさり方ですね。あれ以来のお逢い出来なくなった歳月の数も、はっきりと覚えているほど、あなたをお慕いしつづけてきたわたしなのに、こんな水臭いお扱いを受けるのはひどく辛くてなりません」 とお恨みになります。 |
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