〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-\』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻六) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/09/12 (月) 

若 菜 ・上 (十八)
東のたい では雪は所々消え残っていますが、薄暗いので庭の白砂とけじめもつけにくいほそなのを、源氏の院は眺められて、
<子城しじやう の陰なる処にはなほ 残れる雪あり>
と、漢詩を小声で口ずさまれ、御格子みこうし を叩かれましたが、こうした朝帰りなどは、久しい間なくなっていましたので、女房たちは意地悪をして、空寝そらね をして、わざとしばらくお待たせしてから、御格子を引きあげました。
「ずいぶん長く待たされて、体もすっかり冷えてしまった。こんなに早く帰って来たのも、あなたをこわ がっている気持があだ やおろそかでない証拠ですよ。でも別にわたしに罪があるというわけでもないけれど」
とおっしゃって紫の上のお夜着を引きのけられると、紫の上はすこし涙に濡れた下着の単衣ひとえ の袖をそっと隠して、恨みがましくもせず、態度はおやさしいけれど、それほど心から打ち解けたふうにはなさらないお心づかいなど、ほんとうにこちらが恥ずかしくなるほど魅力があります。この上もない高貴な御身分の方といっても、これほどの人はいらっしゃらないだろうと、源氏の院は、つい女三の宮と比較なさいます。
昔のことをあれこれと思い出されながら、紫の上がなかなか御機嫌を直して下さらないのをお怨みになって、とうとうその日はお二人でお過ごしになられました。源氏の院は、女三の宮のいらっしゃる寝殿の方へはお出かけになられず、そちらへはお手紙をさしあげます。
今朝けさ の雪に気分が悪くなりまして、たいそう苦しいものですから、気楽なところで養生しております」 と書かれています。女三の宮の乳母は、 「そのように宮に申し上げました」 とだけ。口上でお使いにお返事させました。 「およそ風情のないそっけない御返事だな」 とお思いになります。朱雀院のお耳に入ったらお気の毒なので、新婚のここしばらくの間は、何とか取りつくろうとお思いになるのですが、それさえ出来ないので、 「やはり思った通りだった。ああ、困ったことになった」 と、御自身で思い悩みつづけていらっしゃいます。紫の上も、 「わたしの立場も考えて下さらないで、お察しのないお方だこと」 と迷惑がっていらっしゃいます。 次の朝は今までのようにこちらでお目覚めになられてから、女三の宮にお手紙をさし上げます。女三の宮は特にお心遣いをなさるまでもない幼い御様子のお方ですけれど、一応のお筆などもよく選んで、白い紙に、
中道なかみち を 隔つるほどは なけれども 心乱るる 今朝けさ のあは雪
(あなたの所とわたしの所との 間の通い道を塞ぐほど 降る雪ではないけれど 乱れ降る今朝の淡雪にさえぎられ 心も乱れるばかりです)

と書いた手紙を白い梅の枝につけてお届けになります。 文使いをお呼びよせになって、 「西の渡り廊下からさし上げなさい」 とお命じになり、そのまま、外を眺めながら縁の近い所にいらっしゃいます。白いお召物を召されて、白梅の花をまさぐりながら、ほのかな残雪の上に、またちらちら降り添ってくる雪の空を眺めていらしゃいます。近くに咲く紅梅の梢に、鶯が初々ういうい しい声で鳴いているのをお聞きになって、 <折りつれば袖こそ匂へ梅の花> と口ずさまれて、花を袖でおし隠されて、御簾みす を押し上げられて外を見ていらっしゃるお姿は。どう見ても、夢にも中納言や女御というお子まである高い御身分のお方とは思えず、ひたすらお若く、瑞々みずみず しいのでした。

源氏物語 (巻六) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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