〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-\』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻六) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/09/04 (日) 

若 菜 ・上 (十六)
こうして、いよいよ二月の十日過ぎに、朱雀院の女三の宮が、六条の院へお輿入こしい れになりました。
六条の院でも、その御準備に並々ではありません。若菜を召し上がった西の放出はなちいで に女三の宮の御帳台みちょうだい を設けて、そこに続いた一のたい 、二の対から渡り廊下へかけて、女房の部屋部屋まで、念入りに準備して磨き飾らせておかれます。
宮中に入内なさる姫君の作法に倣って、朱雀院からもお道具類が運ばれます。このお輿入れの儀式の盛大さはいうまでもありません。
お供の行列には、上達部たちが大勢参列なさいます。あの女三の宮の家司けいし になりたがった藤大納言も、心中穏やかでないまま、お供しております。
女三の宮の御車を寄せたところまで、源氏の院がおでましになられて、女三の宮を抱き下ろしてさしあげるのなども、異例のことでした。
何といっても臣下の立場でいらっしゃるので、万事に限度があって、宮中への入内の儀とも違いますし、普通の婿君というのともまた事情が違いますので、どうもめったに例のない御夫婦の間柄というものです。
三日の間は、しゅうと の朱雀院からも、主人の源氏の院からも、またとはいえないような盛大で、優雅な催しを尽くされます。紫の上も何かにつけて平静ではいられない御夫婦の有り様です。それはまあ、こんなことになっても、すっかり姫宮に負けて、ないがしろにされてしまうようなこともないだろうと思われます。それでもこれまでは競争相手のない暮らしに馴れていらっしゃったのに、これからは前途も長く、華やかなお方が、侮り難い御威勢でお輿入れなさったのですから、紫の上は何となく居心地の悪い思いをなさるのでした。それでも表面はひたすらさりげない態度を装って、姫宮の御降嫁の折も、源氏の院とお心を合わせて、こまごまとしたことまでよくお世話なさり、いかにもいじらしい御態度なのです。源氏の院もそれをいっそう世にまたとない殊勝な心がけだとお思いになるのでした。
女三の宮は、ほんとうにまだとても小さくて、未成熟というよりも、ひどくあどけなくて、ただもう子供っぽくていらっしゃいます。あの昔、まだ少女だった紫に上を尋ね出してお引き取りになられた時のことをお思い出しになりますと、あちらは気がきいていて相手にしても手応えがあったのに、この女三の宮はただもうあどけないばかりにお見えになります。これも、まあ、いいだろう、この調子なら紫の上に対して憎らしく威張って我を通されることもないだろうとお思いになります。また一方ではあまりといえば張り合いのない御様子だとお見受けいたします。
御輿入れから三日間は、毎晩お休みなく続けて女三の宮のところへお通いになりますので、長年こんなことは御経験のない紫の上はお心ではこらえようとなさるものの、やはり悲しくてなりません。源氏の院の数々のお召し物などに、女房に命じてこう をいつもよりいっそう念入りに きしめさせながら、御自身はぼんやり物思いに沈んでいらっしゃいます。その御様子が、言いようもなく可憐で心をそそる美しさです。
「どんな事情があるにせよ、どうして、この人のほかに妻を迎える必要があろうか。浮気っぽく気弱になってきている自分の落度から、こんなことも起こってしまったのだ。自分より若くても、夕霧の中納言のように律義りちぎ な人間には、朱雀院は婿にと目にもおつけにならなかったのに」
と、我ながら情けなくお思いになって涙ぐまれて、
「今夜だけは、仕方のない義理の最後の夜だからと許して下さるでしょうね。この後、もしあなたを独りにするような夜があるなら、我ながら愛想が尽きることでしょう。かといって、そうして女三の宮を疎遠にすれば、また朱雀院のお耳に入るだろうしね」
と悩みもだ えていらっしゃるお心の内は、見るからにお苦しそうです。
紫の上は少し微笑ほほえ みながら、
「御自分のお心でさえ決めかねていらっしゃるようなのに、ましてわたしなどに道理がどうのこうのなんて、どうしてわかるものですか」
とけんもほろにおあしらいになりますので、源氏の院ははずかしくさえなられて、頬杖ほおづえ をおつきになって横になっていらっしゃいます。
紫の上はすずり を引き寄せて、
目に近く うつればかはる 世の中を 行く末遠く 頼みけるかな
(目の当たりにこうも早く 心の移り変わっいく はかない夫婦の仲なのに 行く末長く変らないなど 頼って信じてきたことよ)
とお詠みになり、古歌なども書きまぜていらっしゃるのを、源氏の院は手にとって御覧になり、何気ない歌だけれど、いかにももっとみだと思われて、
命こそ 絶ゆとも絶えめ 定めなき 世の常ならぬ なかの契りを
(はかない人の命は 絶える時には絶えもしようが 無常のこの世とはちがう わたしたちふたりの仲は 絶えることもないのですよ)
すぐにも女三の宮に方へお出かけになれないで、ぐずぐずしていらっしゃいます。
「それでは人にも変に思われて、わたしが困ってしまいますわ」
と紫に上にせかされて、ほどよく えてしなやかになったお召物に、すばらしい香をたきこめてお出ましになります。
源氏物語 (巻六) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
Next