〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-\』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻六) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/08/31 (水) 

若 菜 ・上 (十五)
玉鬘の君も、たいそう美しい女の盛りを迎え、貫禄さえさし添って、見るからに御立派になっていらっしゃいます。
若葉さす 野辺の小松こまつ を 引き連れて もとの岩根を 祈る今日かな
(若葉の える 野辺の小松のような 幼い子たちを引き連れて 育ての親の千歳の栄を 祈る今日のめでたさよ)
と、つとめて人の親らしく大人びて御挨拶なさいます。
沈の香木の折敷おしき 四つに、若菜を盛って形ばかり召し上がります。源氏の院もさかずき をお取りになって、
小松原 すえ のよはひに 引かれてや 野辺の若菜も 年をつむべき
(野の小松のような 孫たちの末永い寿命よ それにあやかり 野辺の若菜のわたしも 長生きすることだろう)
などと、詠み交わしていらっしゃるうちに、上達部かんだちめ たちが大勢、南のひさし に着席なさいます。
紫の上の父君の式部卿の宮は、玉鬘の君が主催の祝宴には、例の髭黒の大将の北の方とのおざこざもあって、いらっしゃりにくく思われました。それでも御招待があったのに、こんな親しい間柄で欠席するのは、含むことでもあるようにとられるのも具合が悪く、日が高くなってからおいでになりました。
髭黒の大将が得意顔をして、源氏の院の婿君の立場で、今日の祝宴の一切を取り仕切っていられるのも、式部卿の宮としては、いかにも腹立たしいことなのですが、髭黒の左大将側に引き取られているお孫の若君たちは、どちらにしても御縁つづきなので、まめまめしく席上の用に立ち働いていらっしゃいます。
かご づめの菓子のつけられた枝が四十、料理の入った折櫃おりびつ 四十を、夕霧の中納言をはじめとして、これといった縁故の人々が皆、順々に手送りして献上ねさいます。その後お盃が廻り、若菜のお吸い物を召し上がります。源氏の院のお前には、沈香木の足つき膳が四つに、食器類も優美で現代風に整えられています。
朱雀院の御病気が、まだ御全快にならないのでつつしんで、楽人がくにん たちはお呼びになりません。笛などの楽器類のことは、太政大臣がすっかり御用意なさいました。
「世の中に、この御賀以上に、善美を尽くした催しはめったにあるものでしょうか」
とおっしゃって、前々から、すばらしい音色の名器をすべて用意されておかれたので、もの静かに音楽のお遊びがあります。皆それぞれに演奏なさるなかにも、和琴わごん は、この太政大臣が第一に秘蔵していらっしゃる逸品でした。こうした和琴の名手が、心を込めて日頃弾きこまれた名器は、またとないすばらしい音を出しますので、他の人は弾くのも遠慮なさいます。
源氏の院が柏木の衛門えもんかみ に演奏するようにしきりにお責めになりますので、固辞していた衛門の督もついに弾きました。なるほどその演奏は実にすばらしく、父大臣にも一向ひけをとるまいと思われるほど、おもしろく弾きます。
何の道でも名人の子とはいっても、こうまではとても手筋を受け継ぐことは出来ないものなのにと。人々はしの技量にすっかり魅惑されて感にたえない表情です。それぞれの調子に従って奏法の決まっている曲や、唐から伝わって譜にして決まっている曲は、難曲でもかえって習得する方法がはっきりして学び易いのです。ところが和琴は、即興にまかせて、ただ無造作に爪弾つまび く際にも、あらゆる楽器の音色が一つの調子に調整されていくのは、たとえようもなく美しく、不思議なほど微妙な響きに聞こえます。
父大臣は、琴の もごく緩くはって、調子を非常に低く落として、余韻をたっぷり響きわたらせて掻き鳴らします。柏木の衛門の督のほうは、たいそう華やかな高い調子で、なまめかしくやさしく甘やかな感じがします。それを聞いて全くこれほどまで上手だとは思わなかったのにと、親王みこ たちも驚かれるのでした。
きんほたる 兵部卿ひょうぶきょうみや がお弾きになりました。このお琴は、宣陽殿ぎようでん に納めれられている御物ぎょぶつ で、どの御代にも第一等の名器として高名だったものです。それを桐壺院の晩年に、女一の宮がお琴に興味がおありだったので、お譲りになったものでした。今日の御賀を最高のものになさろうとして、太政大臣が特に女一の宮にお願いして、いただいた物なのです。そういう伝来の由緒をお考えになると、源氏の院はひとしをあわれ深くて、昔のことも恋しく思い出されます。
兵部卿の宮も感動して酔い泣きをお止めになることが出来ません。源氏の院のお気持をお察しになり、琴をお譲りになりました。源氏の院も深く感動なさったあまり、珍しい曲を一つだけお弾きになりました。こうして儀式張ってはおりませんけれど、この上なく風流な音楽の夜となりました。
階段の所に呼び集められた唱歌そうか の人々が、美しい限りを尽くして歌い、やがて調子がりよ からりつ に変わってのどかになります。
夜の更けるにつれ、楽の調子も次第にくつろぎくだけてきて、催馬楽さいばら の 「青柳あおやぎ 」 の謡われる頃には、
<青柳を、片糸によりて、や、
 おけや、鶯の、おけや、鶯の
 縫うふといふ笠は、おけや、梅の花笠や>
と、全くねぐらに帰っていた鶯も目を覚まさんばかりに、この上なくおもしろくなりました。
一応私的な催しの形をおとりになっていらっしゃるものの、人々への祝儀などは実にすばらしいものを御用意なさっていらっしゃいます。
夜明けの頃、玉鬘の君はお帰りになりました。
源氏の院からは、お土産の品が贈られました。
「こんなふうに世捨て人のように明け暮れているので、歳月のたつのも気づかないでいましたが、この祝いのおかげで、自分の年を知らせてもらったのは、心細い気がしますね。時々は、ますます年を取ったかどうか見比べに来て下さい。こう年を取りますと、大儀になって、窮屈なまま、自由にお目にかかれないのが、ほんとうに残念なことです」
まどいっしゃいます。心に むことも、せつない恋しさも、昔のさまざまの思い出が心に浮ばないわけではありませんので、玉鬘の君が、なまじ顔を見せただけで、こんなにも早々と帰って行くのを、全く物足りなくお感じになります。玉鬘の君も、実父の太政大臣には、ただ一通りの親子の縁に感じていらっしゃるだけで、こちらの院の、またとはなく細やかに行き届いていたお心尽くしを、歳月と共に、妻とも母ともなり、すっかり落ち着いた今の身の上になってみて、しみじみ有り難くお思いになるのでした。
源氏物語 (巻六) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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