〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-\』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻六) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/08/27 (土) 

若 菜 ・上 (十三)

翌日は、雪が降り、空模様ももの哀しい感じがして、お二人は昔のことやこれからのことをしみじみ話し合っていらっしゃいます。
「昨日は朱雀院が御病気ですっかり御衰弱なさったのをお見舞いにあがって、いろいろお気の毒に感じることがありましたよ。女三の宮のことを、お見捨てするのに忍び難くお思いになって、わたしにこれこれとお頼みになられたので、お気の毒で、どうしてもお断りすることが出来なくて、お引き受けしてしまったのを、世間では大袈裟おおげさ に噂することだろうね。今更結婚など気恥ずかしくて、気乗りも全くしなかったので、人を介してそれとなくお話しがあった時は、何とか口実をつけてお断りしてきたのだが、直接お目にかかった際に、親心の深い思い入れを縷々とお打ち明けになったので、それには、どうしてもすげなくお断り出来なかった。
朱雀院が、都の外の山深い所に御隠棲なさる頃には、女三の宮をこちらにお迎えすることになるだろう。そのことを、あなたはさぞ不愉快に思われるだろうね。しかしたとえどんなことがあっても、あなたに対してわたしの愛情が変わるようなことは決してないのだから、気にしないように。かえって女三の宮の方こそお気の毒なことと思っています。けれどもあちらも体面を傷つけないようにはお世話するつもりです。あなたも女三の宮もみな仲よく穏やかに暮して下さるなら」
などとおっしゃいます。源氏の君のちょっとした浮気沙汰うわきざた でも、御機嫌を悪くされお腹立ちになられる紫の上のご気性なので、今度のことも、どうお悩みになるかと、御心配していらっしゃいましたが、紫の上は全く気になさらないふうで、
「なんてお気の毒なお頼みでございましょう。わたしなどが、どうして姫宮をいや がったりできるものですか。あちらの方から、こんなところにいて目障りなと、わたしをお咎めにならないのなら、これからも安心してここにいられるのですけれど。女三の宮の御母女御は、わたしの父方の叔母君に当たられるという御縁からでも、わたしとお親しくしていただけないものでしょうか」
と、御謙遜なさるのです。源氏の君は、
「あまりそんなに寛大に許して下さるのも、どうしてなのかと、かえって心配になりますよ。しかし本当に、そんなふうに大目に見て下さって、こちらもあちらも得心して、平穏に仲良く過ごして下さったなら、いっそう嬉しいだろうね。何かと中傷してくるような人の話しを信用してはなりませんよ。世間の口などというものは、何でも誰が言い出したということもなく、いつの間にか他人の夫婦仲など、実際とは違ったふうに間違っていいふらし、そのため、とんでもないことが持ち上がったりするようです。どんなことも自分の胸一つに納めて、成行きにまかせておくのがいいのです。早まって騒ぎ立てて、つまらない嫉妬などしないことですよ」
と、しっかり教えておあげになります。
紫の上は言葉だけでなく、心の中でも、
「こうして、まるで天から降って来たような事件で、どうにも御辞退出来なかったことなのだから、嫉妬がましい厭味いやみ は言うまい。今度のことは、わたしに気がねなさったり、また誰が御意見したところでお従いになれるような問題ではないのだもの。当人どうしの気持から生まれた恋愛ではなく、止めようにも止める手だてのないものだったのだから、愚かしくそれを苦にして悩みふさいでいる様子を、世間の人にさとられたくない。継母の式部卿の宮の北の方が、いつもわたしが不幸になるようにと、呪っているようなことを口になさり、、あのどうしようもなかった髭黒ひげくろ の大将と玉鬘たまかずら の君との結婚についてさえ、どういうわけかわたしを恨んだり、ねた んだりなさっているそうだから、こんな話しを聞かされると、それこそ呪詛じゅそ の甲斐があっていい気味だと思われることだろう」
などと考えます。おっとりした御性質の方とはいえ、どうしてそれくらいの気の回し方を、されないことがありましょう。今ではもう誰も自分の上に立つ人はあるまいと慢心して、すっかり安心し切って暮してきた源氏の君との夫婦仲を、人はどんなにか物笑いにするだろうと、胸の中では思い続けながら、表面はさりげなく、おっとりと振舞っていらっしゃいます。

源氏物語 (巻六) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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