〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-\』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻六) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/08/25 (木) 

若 菜 ・上 (八)

朱雀院はつづけて、
「女三の宮がもう少し世間のことにも分別がおつきになる年頃まで、わたしが見守ってあげようと考えてきたのだけれど、このままでは、深い出家の望みも遂げずに終わりそうな気がして、つい心がせかされる。あの六条の院の源氏の君は、乳母の言うように、実によくもののわかったお方で、安心して姫宮を任せられるという点では、この上ない人物だ。あちこちにお世話する女君たちが大勢おられることは、あまり問題にしないでもいいだろう。とにもかくにも、その辺のことは、どっちみち本人の心がけ次第だろう。あの源氏の君なら、悠然と落ち着いていて、広く世間の模範としてあが められてもいるし、この上なく行く末が信頼できる安心な点では、またとないお方だ。
そのほかには、婿としてまあかなり適当な人物といえば、誰がいるだろう。はたる 兵部卿ひょうぶきょう の宮も、人柄は無難だし、わたしとは兄弟どうぢだから、他人扱いにして悪く言いたくはないが、あまりにも、風流ぶっていて柔弱なので、重々しいところが乏しくて、どうも少し軽薄な印象が強い。やはり、そんな人物は、頼りなく思われる。また大納言の朝臣あそん が、女三の宮を後見する家司けいし になりたがっているそうだが、その方面では、まあ相応に実直に勤めるだろうが、さて、どんなものか。その程度の身分の者では、やはり不似合いでおかしいだろう。昔も、こうした婿選びには、万事につけて人にすぐ れた声望のある人物に落ち着いたものだ。ただひたすら妻を大切にしそうだという点だけを取り柄に婿を決めてしまうのは、いかにも遺憾で物足りないように思う。柏木かしわぎ右衛門うえもんかみ が、内々女三の宮に心を寄せてやきもきしていると、朧月夜おぼろづきよ尚侍ないしのかみ も話していたが、あれほどの人物なら、位がもう少し人並みに上れば、何の不足があろうかと思いもするが、まだ年も若すぎて、身分もさっぱり貫禄がない。高貴な女性を妻にという、結婚に高い理想を持っていて、今独身を通して、焦らず落ち着いて志を高く保っている態度は、人より抜きん出ているし、漢学の才なども優秀で、行く末は必ず天下の柱石ちゅうせき となるにちがいない人物だ。将来も頼もしいが¥、やはり女三の宮の婿として、今とり決めてしまうには、身分の上から充分とは言いかねる」
と、あれこれ考え悩んでいらっしゃいます。
朱雀院がこれほどのお気にかけない姉宮たちに対しては、求婚して院に御心配をおかけする方は全くいらっしゃいません。どういうわけか、朱雀院が内々で御相談になる内証ごとのあれやこれやが、自然に外に洩れ広がって、女三の宮に思い焦がれる人々が多いのでした。
太政大臣も、
「うちの柏木の衛門の督は、今まで独身を通してきて、皇女でなければ妻に持たないと思っているのだから、こういう婿選びのお話しが出て来た機会に、そういう希望を朱雀院にお願い申し上げて、もしお気に召して婿としてお扱い下さったなら、自分のためにのどんあにか面目が立って嬉しいことだろう」
と、お話しになられます。朧月夜の尚侍には、その姉君である太政大臣の北の方から、そういう大臣の意向をお伝えになります。尚侍からはさまざまに言葉を尽くして朱雀院にその旨を奏上していただき、朱雀院の御内意をお伺いになります。
螢兵部卿の宮は、髭黒ひげくろ の左大将の北の方になった玉鬘たまかずら の君をお貰いそこねになりましたので、玉鬘の君に、もし聞かれたらという御配慮もあって、いい加減な相手とは結婚出来ないと、選り好みしていらっしゃったので、女三の宮との縁談に、どうして心が動かないことがありましょう。この上もなくことの成行きに気を揉んでいらっしゃいます。
とう 大納言の朝臣は、年来、朱雀院の別当をして、いつも女三の宮のお側に親しくお仕えしていましたので、院がやがて山寺へお籠りになられた後は、自分も頼り所もなくなり、心細くなるだろうから、この女三の宮の御後見役にかこつけて、これからも御愛顧いただいて、あわよくば女三の宮の婿にして下さるよう、院の御意向を懸命に伺っている様子です。
夕霧の権中納言も、こうした噂の数々をお聞きになるにつけ、御自分は人伝ではなく院から直接、あれほどこちらの気持をそそるようにおっしゃった御態度を拝見しましたので、たまたま何かの折に、自分の願望を院の耳にそっとお伝えすることが出来れば、よもや全く問題にされないことはないだろうと、期待に心をときめかしたこともおそらくあったにちがいありません。
けれども雲居の雁の女君が、今ではすっかり安心し切って、頼りきっていられるのを見ると、
「長い年月、辛い仕打ちをされていたのを口実に「浮気の出来た時節でさえ、ほかの女に心を動かしたこともなく過ごして来たのに、生憎あいにく なことに、今頃になって分別もなく昔に返って、急に女君に苦労をさせてよいものか、内親王ひめみこ といった並々ならぬ高貴のお方と係わり合いになったら、何一つ自分の思うままにならず、二人のぢちらに対しても気ばかり遣って、苦しまねばならないだろう」
などと考えられます。もともと浮気な性質ではありませんので、気持を抑えなだめて、口には出さないものの、女三の宮がひかの男と縁組が決定してしまわれるというのも、平静ではいられないだろyと、気になって、噂に耳をそばだてていらっしゃるのでした。

源氏物語 (巻六) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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