〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-\』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻六) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/08/24 (水) 

若 菜 ・上 (七)

「この御縁談について、兄の左中弁にほのめかしましたところ、
『源氏の君は、きっと御承諾遊ばすだろう。高貴の御身分の北の方をとの年来の御希望が叶うと、お喜びになることですから、こちらの院のお許しがほんとうにいただけるようでしたら、このお話しをお取次ぎいたしましょう」
と申しております。どう返事したらよろしゅうございましょう。源氏の君は、女君の御身分に応じて、それぞれのお立場にふさわしいまたとない行き届いた御待遇をなさるようですが、普通の身分の女でも、自分のほかに同じように御寵愛を受ける女が肩を並べますのは、誰でも不服に思うようですから、姫君にとっては心外だと惑われることないとは限りません。女參の宮との御結婚を望まれる方々は、ほかにもたくさんいらっしゃいますでしょう。どうかよくよく御考慮の上、お決めになられますのがよろしいかと存じます。高貴の姫宮と申しましても、当節のふう といたしましては、どなたも明るくほがらかで、お好きなように合理的に振舞われて、夫婦の仲を思い通りにしてお過ごしになられる方もおいでのようでございます。けれども女參の宮は、ただもうあきれるほど頼りない感じで、気がかりにお見受けいたしますので、御奉公の女房たちがお仕えするにしましても、立場の限度がございます。御主人のだいたいの御方針に従って気の利く下々の者たちも従順にお仕えしているのが、心丈夫というものでございましょう。格別の頼もしい御後見者もいらっしゃらないのは、やはり心細いことでございます」
と申し上げます。朱雀院は、
「わたしもそうのようにあれこれ考え迷っている。世間の目には、皇女たちが結婚しているのは、見苦しく軽薄な感じもするし、またいくら高貴な身分でも、女は所詮しょせん 男と結婚することによって、後悔することも、腹立たしい思いも、自然に味わわなければならないだろう。そう思うと一方にはそれが可哀そうで心を痛めて悩んでいるのだ。また一方では後見してくれる親などに先立たれて、頼みとする庇護者たちもいなくなった後に、自分の思い通りに世の中を送ることになっても、昔は人心が穏やかで、男も世間に許されないような身分違いの恋などは、高嶺がかね の花とあきらめるのがならわしだったようだが、今の世間では、好色がましい風紀のよくないことも、女の話題に関連して折に触れて聞こえてくるようだ。昨日まで高貴の親の家で、あが められ大切にされてきた娘が、今日は大した取り柄のない身分の賎しい浮気男たちにだまされて浮き名を立てられ、亡くなった親の顔をつぶし、死後の霊魂に恥をかかせる例がたくさん耳に入ってくる。それもせん じ詰めれば結婚しようがしまいが結局心配は皆同じことになる。
それぞれの身分に応じて、前世からの宿運だなどといっても、そんなことはもともと判らないものなのだから、あれもこれも心配でならない。何事もよかれ悪しかれ、親兄弟といった頼るになる人々の考えてくれた通りに、教えを守って世の中を過ごしいったら、それぞれの運勢次第で、将来万一落ちぶれるようなことになっても、本人の過ちにはならない。一方、勝手な縁を結んで、時が過ぎ、更にこの上ない幸運に恵まれ、世間的にも好ましい結果を招くような場合は、それはそれで悪くはなかったのだと思われる。それでもやはり、突然、そんな自由恋愛の話しを耳にした当座は、親にも認められず、きちんとした保護者にも許されないのに、自分勝手な秘密の恋愛沙汰をしでかすのは、女の身としては、これ以上の大きな汚点はないと思う。身分のないごく普通の臣下どうしの恋にしても、そういうのは軽薄で好ましくないこととされる。結婚は本人の心を無視して決められることではないけれど、自分の心に染まぬ男を夫として、生涯の運命が決められてしまうのは、女としての日頃の心がけや態度が、いかに軽率だったかを推量されてしまう。女三の宮は、妙に頼りない性質のように見受けられるので、お前たち周りの者の勝手な一存で、ことを取り計らわないように。もし不都合な噂が世間に流れたりしては、実に情けないことになるから」
など、御自分が御出家なさいました後のことまで、姫宮のお身の上をお案じなさいますので、乳母たちは、ますます面倒なことになったとお互いに思案しています。

源氏物語 (巻六) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
Next