東宮は、朱雀院がそうした御病気の上に、御出家の思し召しまでおありになるとお聞きになりまして、院の御所へ行啓なさいました。 母君の承香殿
の女御もお付き添いになって参られました。このお方は格別の御寵愛を受けられたわけではありませんけれど、東宮がこうしてお生まれになられたのは、やはりこの上もなく結構な御宿縁なので、院もこれまでの長い年月の、積もるお話しを細やかにお交しになっていらっしゃいます。 東宮にも、国をお治めになる御心得など、万事につけてこまごまお教えになるのでした。東宮は年の割には、たいそうしっかりと大人びておいでになり、御後見の方々も申し分なく御立派な名門ばかりでいらっしゃいますので、院はその点についてはすっかり安心していらっしゃいます。 「わたしはもう、この世に何の恨みの残るようなこともありません。ただ女宮たちが大勢あとに残されているので、その将来が案じられるけれど、それが臨終の障さわ
りにもなりそうです。これまで人の身の上をあれこれ見聞きしてきたことから考えても、女はとかく自分の心に反して、軽率なことをして、浅はかだと人の批判を受けるように生まれついているのが、実に残念で悲しいことです。あなたが御即位なさった御代みよ
には、何かにつけて、お忘れにならず、あの女宮たちのお世話をしてあげて下さい。その女宮の中でも、しっかりした後見のある人には、そちらに世話を任せてもいいのです。ただ女三の宮だけが、まだ年端としは
もゆかず、ずっとわたし一人だけを頼りにしてきたので、わたしが出家してしまったら、後は寄るべもなくなり、どんな世の波風に漂いさすらうことかと、それだけがしきりに心にかかって、悲しくてなりません」 と涙の目をお拭きになりながら、しみじみとお気持をお打ち明けなさいます。 承香殿の女御にも、女三の宮に好意を持って下さるようお頼みになります。けれども女三の宮の御母の藤壺の女御が、誰よりも御寵愛が深く時めいていらっしゃった頃には、どなたも藤壺の女御と競争なさって、睦むつ
まじい御仲ではなかったものですから、その気持の名残で、たしかに今ではことさら憎いなどとは思わないにしても、ほんとうに真心込めてお世話しようとまでは、お思いにはなれまいと、推量されるのでした。 明けても暮れても朱雀院は女三の宮のことを御心配になり嘆いていらっしゃいます。 その年も暮れゆくにつれて、御病気がほんとうに重くお進みになられて、御簾みす
の外にもお出になりません。これまで御物もの
の怪け のためにときどき御病気になられることもありましたが、こんなにいつまでも長くつづいて絶え間なくお苦しいということはなかったので、今度ばかりは、もう最後だとお思いになりました。 |