〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-W 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (七) ──
だん きょうまき

2013/08/24 (土) 馬 い か だ (四)

── どこでご自害をおすすめ申し上げようか。頼政が探していたのは、死に場所だった。敵のはずかし めをうけないですむ、静かな木蔭と草むらであった。
老将頼政の沈着と経験をもってしても、今は万策尽きていた。これ以上、宮のお供をなしつづけうる自信もなかった。なぜならば、矢の来る方向から判じても、敵はすでに先へ駈けまわり、奈良坂への通路を断ち切っている。── この人数では、しょせん、血路を開けるはずもないし、せめて、さいごにすわる死の花莚はなむしろ を、野辺に探すしか道はない、試案もない。
「あれ、御覧ごろう じませ、春日山が見えまする」
頼政は、駒をとめて、宮のお眸を、みちびいた。
宮は、お顔を振り向けて、頼政のさす指先へ、しばらく、おん眼をこらしておられた。
そこは、光明山こうみょうせん への鳥居道で、大和街道との辻でもあった。一むらの神代杉じんだいすぎ と、くす の老樹が、広い日蔭を落していた。
頼政は、馬を降りて、その小高い藪の丘にのぼり、
「ここにお立ち遊ばして、御覧ごろう じませ、春日山は、なおよく眺められまする」
と、宮を、お誘いした。
以仁王もちひとおう は、じっと、奈良の空を見やりながら、しばらくは、なに一と言も仰っしゃらなかった。双の頬に、おん涙のすじを白々と見せられたのみである。
「・・・・頼政」
「はい」
「もう、心残りはない、春日山も、心ゆくまでながめたし・・・・」
「ご無念でございましょう」
頼政は、がばと、宮の足もとに、ぬがずいてしまった。宮も、最期さいご を悟っておいでになるらしい。この君を、この運命にみちびいた者はられか。頼政は、自分を責めずにいられない。
しかし、悔いてはいなかった。むしろ、自分の描いた生涯の終局が、余りに思い通りに成功したことを、罪深く思うのだった。この宮お一方のみでなく、わが子、わが一族たちの犠牲において、成し遂げられた成功と思うからである。そら怖ろしい心地であった。
「頼政、おことは、さぞ、満足であろうな。老い木に花というものぞ。・・・・若木のまろは」
宮も、ともに、おすわりになった。
御自害の容子が、そこはかとなく、全姿にかすかなふる えを見せられ、お唇の色まで白くなった。
「・・・・いえ、老いの木の花は、花だけに過ぎません。若木の花こそ、実を結ぶ花。── 蔵人十郎行家は、いま、いずこを駈けておりましょうか。さだめし、東国の源氏ばらは、令旨を拝して、奮い合うておりましょうず」
「・・・・・」
「たとえ、おん命は、光明山こうみょうせん のふもとにお果て遊ばしましょうとも、令旨は死んでおりませぬ。令旨は生きて諸国の源氏に、新たな望みを息吹して けましょう」
そのとき、藪の下で、するどい叫びが聞こえ、宮と頼政のあたりにも、矢唸りをもった疾風が、ばしゃばしゃと吹きつけて来た。
「あっ、大殿」
長七唱が、駆け上がって来た。
「飛騨守景家の六波羅勢百騎あまり、もうすぐそこへ姿を現しましたぞ。はや、お覚悟を、お覚悟を」

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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