ひと支えも、持たなかった。 先を争って、諸門から駈
け入った六波羅の軍馬に喊声かんせい
を占められて、平等院は、たちどころに陥ちてしまった。 鳳凰堂ほうおうどう
の前や、双桜造そうろうづく りの廊の上下で、宮方とのあいだに、すさまじい死闘は行われたが、到底、数において、また質においても、敵すべきはずはない。 梨ノ木の伊豆守仲綱は、芝地に馬を捨て、弓も捨て、太刀ばかりで戦っていたが、全身の深傷ふかで
に、よろめき、よろめき、釣殿まで歩いて行き、そこから広庭へ向かって、 「弟っ、弟っ・・・・。宮の御先途を見届けよ。ここを落ちて、父君のおあとを追え」 と、ふた声ほど叫んでいた。 乱軍の中で、弟の兼綱が、こっちを見た。何か、大声で答えたらしいが、聞こえるはずもない。 かえって、それと知った六波羅方の下河辺しもこうべ
清親きよちか が、 「よい敵」 と見、釣殿へよじ登って
「見参」 とおめいた。 しかし、仲綱は、その前に、自刃していた。 八条蔵人仲家も、その子仲光も、大勢の敵の中で、果てた。渡辺党の省はぶく
、授さずく 、与あたう
、清きよし などという一類の猛者もさ
ばらも、朱あけ になって、つぎつぎに最期さいご
を遂げ、また三井寺法師の死にもの狂いな死闘には、平家勢も少なからぬ犠牲を出した。 伊豆守仲綱の弟、尉じょう
ノ兼綱かねつな は、釣殿の上に、兄の姿を見たとき、敵の上総介の童わらべ
武者次郎丸という者に組みつかれ、振りほどいている間に、矢に中あた
った。 たおれながら、彼の心は、兄のそばへ行っていたものとみえ、 「兄上っ」 と、大声で叫んだ。 次郎丸は、自分の兄も、この合戦の中にいたので、何か、気おくれがしてしまい、兼綱の首をかきおくれていると、平家の雑武者八、九人が駈け寄って、わらがちに、兼綱の首を取り争い、ひとりが持って逃げると、 「やあ、その首、返か
やせ。その首、汝わ れだけの手柄ではないぞ」 と、野良犬を追う野良犬みたいに、追いまわして行った。 むかし、左大臣融とおる
が、宇治の流れを、釣殿の下まで引き、双桜そうろう
、鳳凰堂ほうおうどう 、阿弥陀堂あみだどう
、観音堂などを中心に、藤原氏最盛期の工芸の粋を尽くした荘厳も、自然なままの古庭園も、惨として、生々なまなま
しい血に染められた。 けれど、幸いに、ここでの合戦は、大きくなかった。そのため、放火もなく、瞬時の激戦を見たあとは、宮のおあとを慕って、逃げ落ちて行く散り散りな武者が見られたのみである。 さて、宮はどうなされたか。 もとより、頼政は、おそばにあった。 頼政の家来、長七唱となう
も、おあとにつき、平等院から南へ ── 奈良への道 ── 一の坂を落ちて行かれた。 宮の乳人子めのとご
、六条宗信、そのほか、あとからお慕いして来た人びとをも加えても、おそらく、二十名を越えた人数ではなかったろう。 木津河堤。 鷺坂さぎざか
あたりの細道、藪道やぶみち 。 ほとんど、無我夢中で、お駈けになったにちがいない。 騎馬は、宮、頼政、宗信だけだった。あとは徒歩。そして、長七唱が、たえず、宮のお馬の口輪をつかんでいた。が、それでもなお、一度や二度は、落馬されたことであろう。 びゅん、びゅん
── と、おりおりに矢が、そこらの芦あし
や木の枝をかすめる。 「・・・・敵か」 宮は、おひとみを、さまよわせる。頼政は、かぶりを振って、 「まだ、敵は、宇治川を越えられますまい。まだしばらくは」 と、静かに言った。 行々子よしきり
が、啼きぬいている。木津川の岸は、急に、山すそへ曲がり込んで、道は狭められ、沼、池などの湿地も多い。 「や、宗信が見えぬ。いつのまにやら、宗信の姿が」 宮のお声に、人びとは、前後を見た。 その宗信は、さっき、贄にえ
ノ池で落馬し、水の中から、悲鳴をあげていたが、宮以外の人びとは、すでに六波羅勢が後ろへ迫ったことを知っていた。 「一人のために、ここで敵に追いつかれては」
と、知りつつも、見捨てて来たものである。 「おう、この辺りはもう井手ノ里」 口取の唱となう
は、わざと駒を早めて、言い紛まぎ
らした。 「── 井手ノ玉川といえば、山吹やまぶき
の名所などころ です。たしか、その小流れを越えて、光明寺道まで出れば、光明山こうみょうせん
の右手めて の空に、奈良の春日山が、はや、くっきりとみえましょうぞ」 「なに、春日山が、もう見えてくるか」 「いま、ひと息で」 「ああ、早う見たい、春日山・・・・春日山をば・・・・」 宮は、喘あえ
ぎ喘ぎ、子どものように、仰っしゃりつづけた。 もう、鼻腔びこう
と肩で呼吸していらっしゃる御容子だった。頼政は、怖ろしいことに思った。宮のお顔はあきらかに死相を示しておいでになる。 |