〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-W 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (七) ──
だん きょうまき

2013/08/20 (火) だん  きょう (一)

谷の空が明るみかけた。里とちがい、深山は今が若葉時である。山千鳥がさえずりぬく。
鳥の音は、悲調な出陣の に聞こえる。今はと、頼政の眉も動いた。さっきから、一刻も争う思いはしきりであったが、いかんせん、宮のお疲れのはなはだしさを見ては、つい一時のばしに、兵馬のいこ いを、ともに続けていたのである。
「おう、夜が白む。はや立とうぞ」
仲綱、兼綱、きそう など、武者育ちは、疲れも知らない。渡辺党の猛者ばらなど、かえって士気の む様子だった。仲綱が上げた合図のむち を見、七十七騎一せいに、つかのまの野営の草を離れて起った。
宮を、うながし奉り、頼政も、やおら起ち上がって、
いこ いのあとに、物な残しそ。敵の探りしるべになるぞ。去ったる陣地に、汚物おぶつあくた など散らして行くは物笑いぞ。火は、念を入れて踏み消し、土をかけておかれよ、人びと」
と、老将らしい令を忘れなかった。
兵馬は、あり のような隊伍たいご を進め出した。谷道二十町ほどで、渓流を越え、炭尾すみのお の急坂を、一気に登りつめる。はやくも、人びとのよろいかぶと の下は、汗であった。人いきれ、馬たちの荒ぶる呼吸、汗のにおい。
「峠だ」
「長坂峠」
山頂やまいただき に出、ひろい視界が眼に出会うと、将士はみな、ある感慨につきぬかれ、期せずして、叫びあった。
「国ざかいだ。── ここは近江と山城との国境よ」
めずらしく今朝は、幾日ぶりかの雲がやぶれ、西に喜撰嶽きせんだけ 、明星山の峰々、北に醍醐、東に甲賀連峰の猪ノ背、矢筈などの山が、みなその姿を雲表うんぴょう にあらわしている。
このあたり、遠方此方おちこち の部落を、笠取の荘といい、喜撰法師が隠れた跡とか、醍醐寺の修法所とか、人の通いも少なくない。
そして後の世、里人はここの峠を 「頼政越え」 と呼び、その日の彼をいつまでもしの んだ。
その日は、五月二十六日。空は東に青い雲間を見せて来たが、都の方は、まだ晴れ切れぬ厚い雲の下だった。
頼政は、どう思ったか、きょう阿闍梨あじゃり 、円満院源覚など、六十、七十という老僧たち八、九名にたいして、
「宇治はもはや、かなたの目の下に近づいた。あくまで二心なき芳志はかたじけないが、ここにて、お引き揚げ願いたい。宮を奉じて、われら南都にはいるうえは、ふたたび、便りも申し上げん。また、みつ なる謀り事も、貴僧らが、三井寺の内にあらねば成し遂げ難いことでもあれば」
と、帰山を、うながした。
「ごもっともじゃ」 と老僧たちは、うなずき合い ──
「弓馬の業は手に馴れぬ。かつは、この先の御供にも足手まとい」
と、それぞれ、宮のおん前に、別れを述べて、もとの道へ引っ返した。
しかし、五智院ノ但馬、一来法師、筒井浄明、小蔵の尊月などの荒法師は、踏みとどまった。中にも筒井浄明や、一来法師などは、師の阿闍梨あじゃり が平家方へ心を寄せているのに、師にもそむいてこれに加わって来たのである。帰れとすすめても、帰るやから ではない。
また、宮は、侍童の鶴丸に、
「おことも、ここで帰るがよい。長い月日、よう仕えてくれたの」
と、いたわられた。そして、
「家に帰って、母を大事に、姉弟あねおとと とも、むつ まじゅう暮らせよ。これは、かたみぞ」
と、お身につけられていた匂い袋とこうがい を与えられた。
鶴丸は泣くばかりだった。ここはすでに敵の囲みの中と分かっている。お暇はいただいても、無事に都へ戻れるか否か、どう道をとってよいか、途方にくれているらしい。
頼政のおい 、頼兼は病弱だった。頼政は後事をさと して、ちょうどよい連れと、鶴丸の身を託し、彼をまた、ここから帰した。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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