〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-W 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (七) ──
だん きょうまき

2013/08/20 (火)  かわ へ (三)

近江三井寺から、宇治を経て、奈良へ入るには三つの道の、どれかを選ぶほかはない。
山科街道を、小野の里へ出て、宇治へ出るか。
遠く、南を大迂回だいうかい して、田原越えをとるか。
さもなければ、瀬田川尻を、西の山路へ分け入る笠取越えかである。
頼政は、後者をとった。
「いずこも、火宅かたく よ」
味方と頼んだ三井寺を立ち退くにさえ、彼は惨たる苦労をなめた。 「寝返りを打って不意討ちの敵やかかるか」 「追い討ちをかけて行く手を阻むや」 と、たえず戦態行軍をとって、宮の一騎を、くろぐろと守護し、先頭には、物見を放ち、隊尾は殿軍しんがり に見させ、治承四年五月二十五日の深夜、ちりじりに、三井寺をまぎ れ出て、瀬田川ぞいに、
「明けぬまに、せめて笠取の峠路までも」
と、同勢百余騎、急ぎに急いだ。
馬上から頼政は、前後の味方へ、しゃがれ声を張って、二度も同じ言葉を繰り返した。
「宇治までが、やや難路の思いぞ。難路とはいえ、平地一里半、山路およそ三里。夜をこめて越ゆれば、朝まだきには宇治川を見、平等院びょうどういん も望まれよう。── 宇治まで行けば、大和街道は、奈良まで駒の一と当てぞ」
道はまだ、瀬田川のほとり、石山寺いしやまでら の下を行く平地なのに、宮は、駒のさばきに、はやくも御難儀なてい だった。
騎乗などは、もとより宮のよくする技ではない。
馬列のよどみに、馬が、後肢あとあし をはね上げたり、勢いよく、たてがみを振りなどすると、宮は、くら にうつ伏して、しがみつかれた。
「奈良までは、たかだか十里の道よ。── 山路深くに入って、兵糧もかし ぎ、休みもしようぞ」
頼政の心では、たえまなく、宮を励ましているのであった。なまじおいたわ り申しては、と見て見ぬ振りして、駒足を早めつづけた。
石山寺をうしろに半里、川沿い道もようやく絶え、全軍は右へ折れて、山道へかかって行く。
瀬田の水明りと別れてから、眼をふさがれたような暗さである。空には、一点の星もない。
総じて、ここ四、五日というもの、天候は悪かったらしい。
頼政が、わが家を焼き払って、洛中を去った二十一日から、こよい二十五日の夜までの気象は、 「玉葉」 「山槐記」 などの公卿日記にも ── 陰晴インセイ 定マラズ、とか。── 細雨時々下ル ── とかあって、快晴の日はなかったようである。
「古典平家」 に、

“── さる程に、宮は、寺と宇治とのあひだにて、六度まで、御落馬ありけり”
とあるが、当然、山路もぬかっていたにちがいない。
時には、馬もひづめをすべらせ、おりには、降りて手綱を引っ張らなければ動かないような、難渋なんじゅう な行軍であったろう。そして、道のり以上、時間を要したことも考えられる。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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