所は、五条大納言那綱の館。 そこにも、守護の兵を要する。西八条も、手薄には出来ない。 「三井寺への発向は待て」 と、清盛からの使いが、知盛、重衡の陣へ急いだのも、そのためだった。 知盛は気が短い。公達中での荒武者でもあった。 「どうした、近衛河原を見にやった先の桐生
六郎は」 「まだ、駈け戻りませぬ」 「もう一名、たれか行け。那波太郎、見てまいれ」 一騎、また霧雨の闇を、駈けて行く。 すると、駈けちがいに、陣へ飛び込んで来た武者がある。知盛が、 「六郎か」 と、叫ぶと、 「いや、佐貫さぬきの
四郎大夫に候う」 と、その者は、近づいて来て、 「八条室町の仮御所へ、使いの道すがら、いあたる所で、異い
な風説を耳にいたしました」 「どんなうわさを」 「近く、平安の都を廃し、帝みかど
は申すに及ばず、公卿くげ 百官も、西八条も、六波羅も、ことごとく福原の地へ移され、福原こそ、新たな都になろうぞと、みないい騒いでおるのでございまする」 「なに、都を福原へ遷うつ
すと。・・・・ば、ばかな、たれが、そのような」 「いえ、兄君、根のないうわさではありませぬ」 「重衡、ことは、聞いておるのか」 「ちらと、数日前の御密談に」 「相国のお口から?」 「はい、父ちち
禅門のおことばの端に」 「心得ぬことだ。そんな重大事が、よし相国のお口ぶりにうかがわれたとは申せ、御密談の席のことが、どうして、はやくも、ちまたなどに聞こえているのか」 「さ・・・・。その儀は」 「だらしがないぞ、近ごろのわれら一門は。まるで秩序がない。機密も保てない。どうして、そんなことで合戦に臨まれるか」 「若年の重衡は、よう存じませぬ。政治まつりごと
のうえの深い御秘事は」 「おことに言っているのではない。腹が立つのだ、おれは無性に。・・・・何者か、一門のうちにも、骨なしがおるやに思われて」 青白い知盛の横顔が、そのとき、ほの赤く見えた気がした。おやと、人びとの眸は、空を振り仰いだ。 「あっ、火の手」 全陣、たれもが、同じ声を突然上げた。方角は、加茂の上流。ぼうっと、いちめんに霧雨の闇を赤くし、焔ほのお
は、見る間に、大きくなった。 その時、二騎一緒に、近衛河原から駈け戻って来た。那波太郎と桐生六郎である。二人は、知盛、重衡に前へ来て叫んだ。 「頼政父子を初め、一族六十数名の者、御陣へ参ずると見せかけ、にわかに、道を変えて、三井寺へ駈け言った由にございまする」 「近衛河原の館も、梨ノ木の仲綱の家も、あれ、あの如く、みずからの手で焼き払い、潮うしお
の如く、駈け急いで去ったとか」 知盛は、余りに、自分の予感が当たりすぎて、かえって、茫然ぼうぜん
といかけたが、燃えさかるかなたの火に、その眸ひとみ
を焼かれると、ぼつ然と、駒のあぶみを踏ん張って口惜しがった。 「なに、三井寺へ奔はし
ったと。・・・・あの老いぼれのみか、仲綱も、兼綱までもか。ええ、飼い犬に手を咬か
まれたとはこのことよ。父禅門が聞こしめさば、どんなお顔をなされようぞ。おれはもうばからしくて、いや、お気の毒で、父相国のお姿を見るにも堪えぬ。── 重衡、おこと行って来い。すぐ西八条へ行け。そして頼政一族を追い討つこと、三井寺めへかかること、二ヶ条、みゆるしあれと、お願いしてまいれ」
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