平治の乱に、義朝を裏切ったのは、源氏を見捨てたのでは決してない。あの一戦が、そもそも、正義でないからだった。青公家が首謀となり、政治性のない義朝を、野望の武器としたからである。 もし、あの一戦に、味方が勝っていたとしたら、源氏はどうなって来たろうか。 おそらく、一時の栄えは見ても、今ごろは、跡形もない泡沫
だろう。しょせん、清盛を持つ平家一門のような長い隆昌はあり得ない。 「自分は、機をはずして、機を待ったのだ・・・・。ならぬ野望を避けて、正しい今日を」 本心の頼政は、その苦節にかくれて来た。が、清盛は彼を信じ、あくまで彼をいたわった。 清盛が、どんなに、信じたかは、平家としては重要な伊豆の国に、所領を分け与えたことでもわかる。 また、この仲綱までを、伊豆守に登用し、国庁をその手にゆだねた。そして、東国の源氏を、監視させた。 清盛の腹では、 (毒を制するに毒、源氏の抑えには、源氏の内状に精通している頼政父子をこそ) と、考えたのかも知れない。
なんたる目違いと、清盛の愚を、笑いも出来る。その大失態は、もう明らかである。 牢ろう
の守りに、牢囚の同類を立たせたのも同じことだ。 しかし、よくもそれまでに、頼政が、清盛をだまし、清盛の信頼をつなぎえて来たものだということの方が、もっと、驚くに足る事実であろう。 「思えば、罪深いことだ。もし人を善悪二色に分けるならば、まちがいなく、あのお人は善、わしは悪」 と、頼政自身さえ、思っている。 そして彼は、今宵を限りに、仮面をとって、本来の自分を、清盛へ示す時が来たことを、なお胸傷いた
く思うのだった。現世では不可能だが、たがいに、地獄で落ち合ったら、詫わ
びもしようし、どんな面罵も、清盛からなら受けるべきだと、心を責める。 「頼政がいわずもがな、あの入道相国とて、しょせん、極楽往生は遂げがたい。彼も我も、生を武門に受けたのが禍わざわ
いぞや。この世から、修羅焦熱しゅらしょうねつ
を約して住み、死すまで、わが名とともに、業ごう
は尽きぬ。── 入道の宿業しゅくごう
、頼政の宿業。武門の約が、二人をかくの如く、咬み合せたのだ。── ゆるし給え、いずれは相国入道にも、わが墜ちゆく地獄へ参らるるほかはない。地獄にて会い参らすぞ。・・・・さらば頼政こそは、ひと足先に、参り候わんず」 現うつつ
なき人のように彼は起って、奥へかくれた。身に鎧よろい
を着、太刀をはき、なお、胸にはそんな万感をつつみながら、やがて持仏堂へはいったまま、一拈ねん
の香をくゆらし、掌て を合わせていたのだった。 ──
すると、門の内や外、邸内の広場へかけても、 「おあるじ、おあるじは、どこに御座あるや」 「大殿は、おわしまさぬか」 「父君ないはそも、いずこに」 と、むらがり来った一族郎党の声と、甲冑かっちゅう
や馬具の鏘々しょうしょう たるひびきが聞こえた。 「おうっ、来たか、そろうたの、皆の者」 閉じ込めていた持仏堂を出、やおら頼政が、広縁に立って、姿を示すと、 「おう父上、伊豆守仲綱です、待ちかねていたお召し、打ちそろうて、こう、参じました」 「庁ノ尉じょう
、源大夫兼綱はここにおりまする。兄者人あにじゃびと
のお合図に、すわやと、なにもかも打ち捨てて馳は
せ参ってござりまする」 嫡子、次男の二人を頭かしら
に、甥おい 、従兄弟いとこ
、子飼いからの郎党など、二十幾人の影が地上にそろって、手をつかえた。 後列には、渡辺党の面々が見える。前列の着到名乗りがすむと、うしろの武士も順に、 「省はぶく
ノ播磨次郎にて候う」 「授さずく
ノ薩摩兵衛」 「与あたう
ノ右馬允でおざる」 「続つづく
ノ源太」 「加くわう ノ坊門源次は、これに」 と、三十数名かが、流るるごとく、名乗り渡った。 一字名は、嵯峨さが
源氏げんじ 、渡辺党の風習である。 頼政は、その一人一人へ
「おうっ」 と大きく会釈し、 「ううむ・・・・」 と、見すえるような眼を、いちいち注いだ。たれも来ている、かれももれてはいない。そのどの顔にも、恩愛さまざまな思い出がある。うなずき、うなずき、彼の頬には、彼も知らないでいる涙がしきりにこぼれ散った。 |