〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-W 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (七) ──
だん きょうまき

2013/08/13 (火)  でら 入 り (四)

また、この数日間。
輿や牛車や、あるときは、鎧武者の隊伍たいご もともに、蹴上けあげ を越え、三井寺と六波羅とのあいだに、往来がしきりなのは、別当時忠の使者や、関白基通の使いが、入道相国の命を受けて、
(宮を、寺より出し奉るように)
と、政治的な折衝にかよ うものと、時局のすがた までを、庶民の眼は、じっと、心配そうに見ていた。
── 二十日、二十一日と、日がたつに従い、都邑とゆう は、険悪を増し、いやな風声まで加えて来た。
特に、二十一日は、武者の足つきが早くなり、牛車の牛は、例外なくムチでしり をたたかれていた。ひる まえには、三井寺法師の一群と、僧綱そうごう らしき面々が、緊張しきった顔をそろえて、六波羅を訪い、それが大津へ引き揚げたころ、突如、
「ならの興福寺大衆と、春日の神人じにん たちが、数千の僧兵を率い、都へ押して来るそうな」
という風説が立った。まるで砂塵さじん のように、それはちまたへ広がった。
「こんどこそ、ただではすむまい」
いちたな は、ごった返した。細民町では、子どもの悲鳴や、女、老人などのかん だかい声が立ち始める。命あっての物種ものだね よと、わめ き合う声々なのだ。さりとて、かて も持たねば、荷も負えるだけ負わなければ、どうして山野で生きつづけられよう。それにも血迷う人びとだった。
だが、大路を飛ばして行く騎馬武者には、右往左往な細民の影など、草木の驚きとも見えないらしい。東奔西走、何事かを、武家諸門へ、伝令していた。
その日、六波羅と三井寺との、政治的交渉も、
(宮には、断固として、出で給う思し召しはない、諸事、これまで)
と、打ち切られていた。
ついに、入道相国の令は、一族の門へ向かって発せられた。軍勢の催促たるはいうまでもない。ちまたに轟く縦横な悍馬かんば のひづめも、
「三井寺を攻めよ。宮を捕えよ」
との動員ぶれの声に聞こえた。
将には、宗盛、頼盛、維盛、資盛、重衡、清宗など、みな出陣の命を受けた。
中には大病あがりなので、通史にもれていた知盛までが、
「やわ、この大事を、家にいて、見過ごせようか」
と、六波羅広場へ、駈け集まった。
しかし、これらは、一門の将星である。以下の直臣、族党の輩は、名も挙げきれない数だった。そして、出陣ぶれは、五月二十一日の夕迫るまで、なおかなたこなたを駈けていた。
その夕べ。
近衛河原の頼政の門へも、
こく (零時) までに、六波羅広場へ出で合い給え。一手は、南都の防ぎにむかい、一手は三井寺を攻むるにて候う」
と、相国の令を、達して来た。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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