〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-W 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (七) ──
だん きょうまき

2013/08/11 (日)  でら 入 り (一)

男に違いない。女性にしては、余りに敏捷びんしょう な動作が、夜目よめ にも不審に思われた。
女房装束は召されていたが、後に思い合わせると、そのお人こそ、以仁王もちひとおう であったのである。
侍者の宗信と、童も鶴丸だけを連れ、三つの人影は、つまづくような走りかたで、月光を避け、物蔭を縫い、三条高倉を北へ、たちまち、落ちのびて行かれたのだった。
では、この御所を平家の軍馬が取り囲む前に、しかも寸前に、どうして宮はそれを予知されていたか。一歩の差で、虎口ここう を逃れ、三井寺へ落ちて行かれたかという疑問が残る。
── それはまだ、宵の灯ともしごろであった。
宮は、侍者の大夫佐たいふのすけ 宗信むねのぶ と、ひそやかに、お居間にあった。
この宗信は、宮の乳人子めのとご (乳母の子) であり、古くからの家職でもあったので、諸国のくだ したこんどの 「令旨りょうじ 」 も宗信には、起草の下書きまで、お示しになったほどである。── で、今も、半月ほど前にここを立った蔵人くろうど 十郎行家が、今ごろはどこの旅路にあることか。伊豆の頼朝を訪う日はいつか、などと語りおうておられたのだった。
そこへ侍童の鶴丸が、ひょこと、廊の御簾みす の蔭に、かしこまって、
「ただ今、怪しげな文使ふづか いが、これを投げ込んで逃げ去りました。名を問えど、名も告げず、ただ、おん前に御披露ごじろう あれとのみ、言い捨てまして」
と、一通の結び文をさしおいた。あて名はない。披けとのみゆるしに、宗信が一見すると、思いがけなくも、三位頼政よりまさ の筆である。それも、つねには見ない走り書きで、

“── あへなくも、君、御むほんの事、すでに、現はれさせ給ひぬ。相国入道の手勢、君をば土佐へ流し参らせむと、こよひのうちに駈け参るべううかが はれ候ふ。君には御いうよなく、即刻、三井寺へ入らせおはしませ。頼政もやがて参り候はむ”
と、あった。
それからのことである。
宮は仰天あそばして、にわかにお覚悟もつかなかった。宗信に励まされて、女房姿にお身をやつされ、わずかに、御秘蔵の笛、蝉折せみおれ小枝さえだ の二管を、鶴丸に持たせただけで、御所の小門からまぎ れ出で、三井寺へ急がれたわけだった。
御所には長谷部はせべ 信連のぶつら という侍が、あとに残った。
信連は、宮付の滝口たきぐち ながら、落ち着いた武者で、局の女房や童たちを、それぞれ先に逃がしておき、自分は薄青の狩衣かりぎぬ の下に萌黄匂もえぎにお いの腹巻 はらまき (鎧胴 よろいどう ) を着こみ、大床に出ていた。
すでに門の外には、武者声やら馬のいななきも、ただねらぬ気配だった。検非違使尉 けびいしのじょう 兼綱、出羽判官光長など、三百余騎がひしめき合い、門が破れたとたんに、どっと、騎馬は騎馬のまま、徒士かち は徒士なりに、なだれこんで来た。
光長は、下知げち して、
「宮は、いずこに候うぞ、すでに御むほんもあら わなる今、何条、隠れ終わせ給うべき。出で給わずば、家捜しせん。者ども、くま なく捜し奉れ」
と、あたりの兵を励ました。
すると、殿上の大床に見えた人影が、
「やあ、ここには、長谷部信連が留守るす して候うぞ、めったな下知に られて、あやま ちすな」
と、大音で呼ばわり、 けあがって来た雑兵の二、三を蹴落けおと しざま、圧するように、立ちふさがった。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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