こういう現象は、これを平家側から見ると、三山連合の分裂を意味し、叡山懐柔の奏功として、時局へへの楽観を、かえって、たかめたかもしれない。 もちろん、以仁王の令旨が源氏へ降ったことなど、夢にも知ろうはずはなく、その御存在さえ、たれの念頭にもなかったのである。 しかし、なんとなく、不穏なものは、感じられていた。万一の変の備え、法皇のお身がらは、鳥羽殿から五条大宮の備後守為行の空き家へ遷
した。そして大勢の武士をして、昼夜、守りを怠らなかった。 すると、はしなくも、以仁王の令旨降下の秘密が、意外な方から福原へ飛報された。 早馬は、紀州田辺の別当べっとう
湛増たんぞう からの急使なのだ。 西八条や、六波羅とは、目と鼻の先のことが、洛中では気ぶりも知れず、どうして紀州などからもれて来たのだろうか。これは、さきに東国へ下った蔵人行家としては、策士に似げない一失策であった。 頼政との打ち合わせによって、熊野新宮から都へ立つさい、彼はその秘密を、そして、源氏の挙兵近き日を、暗に郷党へもらしていたのである。 それが、田辺の平家方に聞こえ、湛増勢と、那智、新宮の現時系との間に、早くも地方的な序戦の口火が切られたのだった。 「宗盛を始め、都の留守居どもは、何しているのか。かほどなことをも知らずにおるとは」 清盛も、この飛報には、驚愕きょうがく
した。 とともに、一門眷族いちもんけんぞく
は多いが、自分に代わって頼みに出来る者は、いかに少ないかを、いや一人もいないかを、胸の煮え立つほど、痛感したにも違いない。 彼は、ただちに、上洛の用意を触れ、五月十日、西八条に陣した。 すぐ、時忠を招いて、 「紀州飛脚は、こう告げて来たが、ほかならぬ宮のこと、とくと実否を糺ただ
せ」 と命じ、一面、朝廷へ奏請の形式を経、ある確証をつかむとともに、宣下せんげ
をもって宮の御名以仁もちひと
を、源以光もちみつ と改め、土佐国へ遠流と公表した。 五月十五日の夜。 宣下をたずさえた西八条の将士に、検非違使の兵をあわせた三百余騎は、ふいに、三条高倉を襲い、面おもて
総門から高倉小門を、取り囲んだ。 むらがる中の一騎には、検非違使尉けびいしのじょう
として、頼政の二男兼綱も加わっている。── 寄せ手の一将、出羽判官光長と、追捕の功をきそうかのように、面総門の前へ、駒をすすめ、 「人もや候わん、ここ聞き給え。宮、御謀叛ごむほん
のこと、すでに現れ、土佐へ移し参らすべしとの宣下の状をたずさえ、官人どもが同勢、おん迎えに参って候なれ。とうとう、お覚悟のうえ、おん出で候え」 と呼ばわり合った。 晴れてはいるが、雲の多いまだら空であった。 雲間の月は、まんまるな五月の十五夜。たたけど、呼ばわれど、御所の内からは、答いら
えもない。 月は、見ていた。さっきからここの門を。 宮、追捕の兵馬が、まだ寄せて来ない寸前のことである。ほとんど、一と足ちがいといってよい。雑人門から、女房衣裳に市女笠いちめがさ
を眉深まぶか にした人が、侍者じしゃ
に傘を持たせ、童わらべ には、物を入れた錦の袋を胸に抱かせ、あたふたと、出て行った
── そして、小溝こみぞ
を見ると、下流しも の小橋へまわるのも、もどかしげに、ひらと、小溝を跳び越えて去り走った。なんとも、尋常な急ぎ方ではなかった “あな、はしたな女房が溝みぞ
の越え様よう や” と、いいたげに、空の月だけは、それを見ていた。
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