〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-W 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (七) ──
り ん ね の 巻 (つ づ き)

2013/08/11 (日) けい  めい (四)

こういう現象は、これを平家側から見ると、三山連合の分裂を意味し、叡山懐柔の奏功として、時局へへの楽観を、かえって、たかめたかもしれない。
もちろん、以仁王の令旨が源氏へ降ったことなど、夢にも知ろうはずはなく、その御存在さえ、たれの念頭にもなかったのである。
しかし、なんとなく、不穏なものは、感じられていた。万一の変の備え、法皇のお身がらは、鳥羽殿から五条大宮の備後守為行の空き家へうつ した。そして大勢の武士をして、昼夜、守りを怠らなかった。
すると、はしなくも、以仁王の令旨降下の秘密が、意外な方から福原へ飛報された。
早馬は、紀州田辺の別当べっとう 湛増たんぞう からの急使なのだ。
西八条や、六波羅とは、目と鼻の先のことが、洛中では気ぶりも知れず、どうして紀州などからもれて来たのだろうか。これは、さきに東国へ下った蔵人行家としては、策士に似げない一失策であった。
頼政との打ち合わせによって、熊野新宮から都へ立つさい、彼はその秘密を、そして、源氏の挙兵近き日を、暗に郷党へもらしていたのである。
それが、田辺の平家方に聞こえ、湛増勢と、那智、新宮の現時系との間に、早くも地方的な序戦の口火が切られたのだった。
「宗盛を始め、都の留守居どもは、何しているのか。かほどなことをも知らずにおるとは」
清盛も、この飛報には、驚愕きょうがく した。
とともに、一門眷族いちもんけんぞく は多いが、自分に代わって頼みに出来る者は、いかに少ないかを、いや一人もいないかを、胸の煮え立つほど、痛感したにも違いない。
彼は、ただちに、上洛の用意を触れ、五月十日、西八条に陣した。
すぐ、時忠を招いて、
「紀州飛脚は、こう告げて来たが、ほかならぬ宮のこと、とくと実否をただ せ」
と命じ、一面、朝廷へ奏請の形式を経、ある確証をつかむとともに、宣下せんげ をもって宮の御名以仁もちひと を、源以光もちみつ と改め、土佐国へ遠流と公表した。
五月十五日の夜。
宣下をたずさえた西八条の将士に、検非違使の兵をあわせた三百余騎は、ふいに、三条高倉を襲い、おもて 総門から高倉小門を、取り囲んだ。
むらがる中の一騎には、検非違使尉けびいしのじょう として、頼政の二男兼綱も加わっている。── 寄せ手の一将、出羽判官光長と、追捕の功をきそうかのように、面総門の前へ、駒をすすめ、
「人もや候わん、ここ聞き給え。宮、御謀叛ごむほん のこと、すでに現れ、土佐へ移し参らすべしとの宣下の状をたずさえ、官人どもが同勢、おん迎えに参って候なれ。とうとう、お覚悟のうえ、おん出で候え」
と呼ばわり合った。
晴れてはいるが、雲の多いまだら空であった。
雲間の月は、まんまるな五月の十五夜。たたけど、呼ばわれど、御所の内からは、いら えもない。
月は、見ていた。さっきからここの門を。
宮、追捕の兵馬が、まだ寄せて来ない寸前のことである。ほとんど、一と足ちがいといってよい。雑人門から、女房衣裳に市女笠いちめがさ眉深まぶか にした人が、侍者じしゃ に傘を持たせ、わらべ には、物を入れた錦の袋を胸に抱かせ、あたふたと、出て行った ──
そして、小溝こみぞ を見ると、下流しも の小橋へまわるのも、もどかしげに、ひらと、小溝を跳び越えて去り走った。なんとも、尋常な急ぎ方ではなかった
“あな、はしたな女房がみぞ の越えよう や”
と、いいたげに、空の月だけは、それを見ていた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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