蔵人行家は、東国へ急ぐに先立って、その朝、逢坂山
にほど近い三井寺へ立ち寄った。ここにいる以仁王の義弟おとと
ぎみ円恵法親王にお会いし、また宮の令旨を示したであろうことは疑いもない。 行家は、すぐ、辞し去った。 しかし、寺中には、大きな衝動が残された。別当、権別当、僧正、長吏などの限られた首脳部会議が、数日に渡って開かれたらしい様子がある。 「令旨を奉すべきか、否か」 三井寺の態度を決するそれの密議とは、衆徒も、すぐ知ってしまった。 「さきに、三山連合の発起を称えながら、令旨を見て、なんの遅疑ちぎ
か」 と、急進的な衆徒の一部は激昂げっこう
し、彼らは早くも、単独で南都なんと
北嶺ほくれい の同志へ、機密をつたえた。 「いま、法皇は拘禁のおん身、院宣は仰ぐに仰ぎ難きも、王の令旨は、法皇のそれと同じぞ。すでに檄は諸国の源氏へ発せられた、東国の野に旗を見る日も遠くあるまい。年来、待望の日は来たというもの。三山のわれら衆徒も、旧事旧怨を忘れ、一体となって平家に当らずして、いつの日、平家の滅亡を見られようぞ」 と、色めきあった。 奈良大衆は、応じて来た。 けれど、このときもまた、叡山側には、躊躇ちゅうちょ
の色があった。 山門大衆の間に、異論があるのか、あるいは、座主ざす
明雲の抑圧によるものか、とにかく、向背こうはい
いずれとも、鮮明でない。 いまは躍起な三井寺衆徒だった。自己の首脳部は、強引に牽制けんせい
していたが、他山の態度までは、どうにもならない。さいごの一と押しと、出かけて行った説客らちも、いまいましげに、立ち帰って来た。 「だめだ、どうにも、煮えきらぬ」 「平家から賄賂わいろ
がまわった様子もみえる」 「朝廷の名をもって、近江米一万石、美濃絹三千匹、そのほか多くの金帛きんぱく
が、谷々坊々へ配られたのは真まことく
らしい」 そう聞いた三井寺衆徒の腹いせであったかもしれない。数日後、交通の多い西坂本の口に、高札を立てた者がある。 |