以仁王はまた、行家に対し、わが令旨をたずさえて、諸国へ王使として下るからには、無官の新宮十郎では、人も信じまい、蔵人
の資格で行けと、称をゆるされた。 「え、蔵人のみゆるしを」 身に余る光栄と、使命の重大さに、行家は、まったく、緊張しきっていた。 一応、頼政父子とともに、別室へ退さ
がり、彼は、その身なりを、山伏姿に変えた。 国もとの熊野新宮には、支配下の山伏も居、そも起居、作法、特有な山伏ことばなどには、精通している彼なので、不自然な風は、どこにも見えない。 「そのお身なりなら、いずこの関や平家の所領を通ろうと、よも、密使と思う者もありますまい」 と、仲綱は、いつもながら、行家の機智と、抜け目のない用意に、感服した。 まず、真っ先に、令旨をつたえる第一の源氏はたれたれか。 伊豆の前さきの
右兵衛佐うひょうえのすけ 頼朝よりとも
、木曾の木曾冠者義仲が、指を折られる。源九郎義経は、余りに遠く、みちのくまでは足も伸ばし難いと思う。常陸源氏の信太三郎しのだのさぶろう
義教よしのり は、為義の子、そこへはぜひ賜わねばなるまい。 そのほか、どこの家々、どの族党へは、こうしてなどと、行家は頼政と、源氏揃の表ひょう
によって、檄げき を飛ばす打ち合わせを遂げた。そして、坪口から草鞋わらじ
をうがち、笈おい を負い、金剛杖こんごうづえ
を手に、よそながら宮の御座所へもう一度お別れを告げて、ひと足さきに、三条高倉の門を、暁闇ぎょうあん
にまぎれて出立した。 すぐあとから、頼政、仲綱も、帰って行き、外にいた兼綱たちの郎党も、見張りを解いてかき消えた。 まもなく夜が白しら
む。そして朝霧の四条、三条を、いつものように、行き交う市人や牛馬の影が、おぼろに描き出されて来た。けれど、高倉の忘られ人の御所の大屋根は、なお眠り沈んでいるように、木々の病葉わくらば
や雫しずく に打たれて、寂としていた。 |