〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-W 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (七) ──
り ん ね の 巻 (つ づ き)

2013/08/08 (木) けい  めい (一)

ものの匂いも御座近くとわかる塗籠ぬりごめ の一間には、かすかな揺れもない切燈台の灯が、白々と立っていた。
宮のお眸を、ちらと、仰ぎ受けて、頼政は、御前にひれ伏した。
あとの二人も、やや退 がって、頼政にならった。
令旨りょうじ を」
以仁王は、すぐ、几案きあん の上の折り奉書を取って、侍者の宗信へ渡され、宗信から三名へ下げ渡された。
ほかには、何も仰っしゃらない。
ほんのり充血したお顔である。すべては、それが語っていた。
「は。・・・・」
と、頼政も、令旨を拝受したまま、しびれたような感動につきぬかれていた。
「頼政。念のため、一読してくれよ」
宮の言葉だった。仰せを待つまでもなく、頼政も行家も、内見のみゆりしを乞うつもりであった。
さきに、草稿の案文については、もとより御相談にあずかっている。侍者宗信や少納言惟長にも、諮問しもん されたことであろう。が大体、宮御自身、文章には達しておられるので、推敲すいこう また推敲のうえ、浄書されたものと思われる。
「・・・・・・」
頼政が、ひら く。
行家と仲綱とは、そのわきから、手をつかえ、拝読する。
惟長は、そっと、明りを近づけた。
全文、漢字である。

“東海、東山、北陸三道ノ諸国源氏、ナラビ ニ、群兵等ノ所ニ下ス”
と書き出され、
“清盛法師、ナラビ ニ、従類叛逆ノ輩ヲ早々追討シテコタ フベキ事”

以下、四百幾文字の令旨は、実に烈しいお言葉で、書かれてあった。
清盛をさして、国家を亡ぼし、百官万民を悩乱のうらん する毒賊であるといい、皇院を監禁し、国財を盗み、公領をわたくし に奪い、また仏法破滅の仏敵であるともいい、あらゆる罪悪を鳴らしている。これを見て、憤激しない者はいないような辞句である。
(激越な・・・・余りに激越な)
読み下しつつ、頼政にすら思えた。お若いのだ。つまり文章に出るお若さなのであろう。
地方武者を蹶起けっき させるには、あるいは、この若さこそ、貴重かもしれない。自分が年を りすぎているため、眼に強く感じすぎるという点もある。頼政は反省し、そこはむしろ、宮の壮志を見直した。
けれど、末尾の文へ来て、かれは、まったく眼をとめてしまった。

── “兼テ、三道諸国ノ勇士ニオイテ、追討ニ与力スル者ハ他日コレヲ賞セム。モシ、同心セザル者ニオイテハ、コレヲ、清盛従類ノ徒ト見ナシ、後ニ、死罪、追禁ノ罪科ニ行ハム”
と、いうあてりは、まだよいとしても、結びに、 「── 即位の後は、功にしたかって、勧賞けんじょう を賜うであろう」 としてある箇所だった。頼政は、その一行が、胸につかえた。
(── これでは、王もまた、わたくし に、帝位を望むものではないか)
と、宮のために、惜しまれるのであった。
また、義兵でなければならない挙兵の令旨が、いたずらに、勧賞けんじょう とし、野望の徒を糾合きゅうごう するような響きにも聞こえはしまいか。
頼政が、生涯、にん を守って、今日を待っていた志とは、大いに違うものがある。頼政は、ふと、苦悶くもん を覚えた。またしても、まよわずにいられないものにぶつかっていた。
「頼政、見終わったら、十郎行家にそれをさずけ、ただちに、行家を発足させたがいい」
宮は、頼政がそれを、余りにいつまでも、凝視ぎょうし しているので、彼の老いがさせるわざ かと、わざと、こう急きたてられた。
もっとも、今しがた、どこか遠くで鶏鳴が聞こえたようである。
みじか夜だ、夜明けは近いのであろう。
「おう、明けぬまに」
頼政も、つい、お答えしてしまった。
運命にはあやつられない。自分の運命は自分で作って行く、として来た頼政も、このとき、何か、足もとへ来た大きな波にさらわれたような、自主のない自分が感じられた。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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