〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-W 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (六) ──
御 産 の 巻

2013/07/28 (日) み じ か 夜 の 門 (一)

とまれ、人びとは重盛の快復をを見て眉をひらいた。平家のためにも安堵あんど した。しかし、重盛自身の思いは、おのずから別であった。
彼は間もなく熊野へ旅立った。そして心ひそかに 「これが今生の最後の参詣さんけい になるであろう」 としている参籠さんろう の願いも果たした。
海山の旅路も、どうやら無事に、重盛はやがて都へ帰ってきた。その帰るさ、福原にも立ち寄り、父の清盛とも会って、ひと夜を沁々しみじみ と語り合った。今は思い残すところもないとしているらしい彼の姿だった。
そうして彼が、
(── 自分の死期も遠くない)
さと って、ある心支度をしていたのは事実である。それは自然、周囲の者へも、映らずにはいなかった。
いや、ちまたの京雀きょうすずめ は、それについても、いろいろな取沙汰を交わしていた。さきに重盛が吐血したことも、あれほど秘密にされていたが、いまはたれ知らぬ者はなく、
「もし小松殿が くなられたら、おそらく、平家は幾年も持つまい」
などというささやきも、随所に聞かれるほどであった。
重盛の人望は、父の相国にもないほどのものがある。貴族たちや僧侶の間でも、重盛を悪く言う者はほとんどない。
── が、なんとなく、彼の死が待たれるような眼で見られているのは、彼への同情以上に、彼亡きあとの平家内部の均衡の破れや、必然に来る現状の変化に ── あま邪悪じゃく な人心が底流に動いているためであろう。
あるいはまた、例によって、つねに機会を利用しては流言蜚語りゅうげんひご を放つことを忘れない反平家の貴族や僧徒たちが、こんども眼に見えぬところから “蔭の声” を放っているのかも知れない。
やがて、だれいうとなく、こんなことを、まことしやかに言う者が出始めた。
「小松殿の熊野詣は、わが一命をちぢめ給えと、みずからの死を祈るためであったそうな」
また、別な “蔭の声” もする。
「あの君は、かねてより、父入道に謀叛むほん の心あるを知り、熊野帰りの後は、物も み給わず、ひたすら、死なばやと、しょく を絶ってい給うとか」
そのほか、いろいろなうわさがちらばった。
中には、手の混んだのもあって、近ごろ、重盛が夢を見たなどという夢話まで伝えられた。
その夢というのは。
重盛が、伊豆の名神へまい ったところ、門のわきに生々なまなま しい坊主首がさら し物にされている。 「あれは、たれの首ぞ」 と、寺僧に訊ねたところ、僧は指さして 「あれなん、さき の太政入道殿の御首にて候う」 と、小気味よげに笑ったと見て、眼がさめた。
翌朝、重盛はこれを、家臣の妹尾太郎兼康に話した。すると、兼康もまた、同じ夜に、それと同じ夢を見たといい、
なこともあるものかな。人にはいうな)
と主従して天の夢告に、恐れおののいた ── というのである。
こんな見えすいたうそさえ、無批判な衆愚のあいだには、化け物のような作用を持ち、なんとなく平家の運命に、不吉な予感を抱き始める者が えてきたのは是非もないことだった。そして重盛が、父入道の大それた望みを悲しむのあまり、自らの死を祈り、食も絶ったというちまたのささやきに、もうたれひとり疑ってみる者もなかった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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