〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-W 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (六) ──
御 産 の 巻

2013/07/23 (火) あし り (四)

去年の六月末に、本国を離れて、今は七月半ば。ちょうど一年目である。
船が出る日まで、二人は 「俊寛の姿を見たら」 と思い、 「俊寛めが、浜へ来たら ──」
と、彼へ言ってやる言葉をはら にためて待っていた。
けれど、船がともづな を解く間際まで、ついに俊寛は、姿を見せもしない。
「さては、余りのいまいましさと、失望の余り、ほら にでもはいって、泣き吠えているのであろうよ」
せめての想像を語り合って、二人は笑った。
しかし、この明るい自分たちの笑い声に、冷やかな嘲蔑をこめて、高慢な俊寛に、思うさま、うらやませたり、煩悶はんもん させてやることが出来ないのは、やはりなんだか、物足らない。 「── 出で来よ、俊寛」 「見よや、都へさして還るこの船を」 と、二人はなお、ふなべり から島の浜辺をながめていた。
すると、やがて、俊寛らしい男が走って来て、浜の波打ち際に立ち、船へ向かって、手を振りぬいた」
「や、俊寛よ」
「おうっ、何か、わめいているわ」
「この になって」
「狂気やしつらん。都恋しと」
二人は、やっと、胸のつかえが下がったように、つぶやいた。
けれど、よくよく見ていると、俊寛は、泣き吠えてもいず、都恋しと、叫んでいるのでもなかった。
かれのそばに、いつもの黒髪の長い娘がいた。娘の肩を、片手に抱えて、しきりにあっちえよろよろ、こっちへよろよろしている様子は、どうやら酒に酔っているらしく見える。また、島の月夜によく踊る踊りの真似でもしているかのようであった。
そしてときどき、遠ざかる船へ、手を振って、声いっぱい、彼の怒鳴るのが、潮風のちぎれちぎれに、二人の耳へも届いてきた。
阿呆あほう よっ。── 阿呆の少将も、物乞いの康頼も、くだらぬ世間を恋しがって、性懲しょうこ りもなく、ふたたび都のちまたで、憂き目をみるなよ。・・・・あはははは、鬼界ヶ島とは、どの方角と思うぞ。これからなんじらが帰る国こそ、その地獄よ。この極楽を捨てて去るとは憐れなばか者だ。俊寛こそは、またなき幸せ者と、都の亡者もうじゃ どもへは告げておけ」
その後 ──
都へ帰った少将や康頼の口から、世間へ語り伝えられた俊寛との別れは、まるで違っていた。
俊寛僧都は、赦免の状に、自分の名がもれたのを、天に恨み、地にこく し、船がともづな を解くまぎわまで、乗っては下りつ、下りては乗っつ、半狂乱の態になった。
そして、船が、沖へ出た後も、小高いいわ の上にとりすがって、
(あな、無情よ。乗せて行け、せめて、われを九州の端の地までなりと、 して行け)
と、泣きからしていたという。
聞く人々はみな、
(さも、あろう)
と、たれひとり、疑ってみる者もなかった。
けれど、ここに、もと法勝寺の稚児ちご で、有王丸という者がいた。年久しく可愛がられた主人の俊寛に、どうかして、いま一度会いたいと思い、数年の後、便船の伝手つて を得て、島へ渡った。そして、俊寛を探し当て、積年の思いと、主従の真情をあたため尽して、ふたたび、都へ還って来た。
「僧都にお会いなされたそうじゃが、俊寛どのは、ただひとりで、どんなお暮らしをしておられたか」
有王に向かって、人が訊くと、有王はかならず、こうべ を深く垂れたまま、
「はい、それはもう、蜉蝣かげろう なんどのようにお せになって、よばろい立つお力もありませんでした。そして、わたくしを見たおよろこびのきわ まりにや、半月ほどの後に、あえなく息をおひきとり遊ばしたのでございます。はい。・・・・御遺骸ごいがい荼毘だび に付し、ただ、おかたみの髪ばかりを、奈良の法華寺におわせられる姫君のため、持ち帰って参りました」
人はみな、俊寛僧都も、これでもう、この世の人ではないと、思ってしまった。そして指折り数えて、まだ三十六、七の若さなのに、と言ったりした。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
Next