〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-W』 〜 〜
平 治 物 語 (下)

2012/09/19 (水) 常 葉 落 ち ら る る 事 (五)

小家こいへ に立ち寄りて、 「宿やど 申さん」 と言へば、あるじをとこ でて見て、 「ただいま 夜更よふ けて、をさな い人々を してまよ はせたまふは、謀反人むほんにんつま にてぞましますらん。かな ふまじ」 とて、男、うち へ入りにけり。落つる涙も降る雪も、左右さうたもと所狭ところせ く、しば編戸あみど に顔を当て、しぼ りかねてぞ立ちたりける。主人あるじ の女、 でて見て、言ひけるは、 「われ ら、甲斐かひ がひしき身ならねば、謀反人の人に同意どうい したるとて、とが めなんどはよもあらじ。たか きもいや しきも、女はひと つ身なり。 らせたまへ」 とて、常葉をうち へ入れて、様々さまざま にもてなしければ、人心地ひとここち にぞなりにける。二人ににんをさな い人を左右さう に置き、一人いちにん ふところいだ き、口説くど きけるは、 「あはれ、いとけなき有様ありさま かな。母なれば、我こそ助けんと思ふとも、かたき だしなば、なさ けをや くべき。少し大人おとな しければ、今若殿をば るか、乙若殿をば刺し殺すか、無下むげをさな ければ、牛若殿をば水に るるか、土にこそうづ まれんずらめ。その時、我、いかがせん」 と、 もすがらかな しみけり。

ある小家に立ち寄って、 「泊らせてくれませんか」 と常葉が頼んだところ、主の男が出てきて、 「こんな夜更け、幼い子供を連れて歩いているなど、謀反人の妻であるにちがいない。宿はお貸しできない」 と答えて、中に入ってしまった。常葉は、落ちかかる涙と降る雪が、左右の袂にびっしょりたまり、柴の編戸に顔を当てながら、袂を絞ることが出来ないまま立ち尽くしていた。主の女が、出て来て、 「自分たちは、たいした者ではありません。たとい謀反人に親切にしたからといって、咎められるなんてよもやありますまい。身分に高き、賤しきがあるとしても、女としては同じ身、お入りなさい」 と言い、常葉を中へ招き入れて、あれこれ世話してくれたので、やっと生き返ったような気になった。常葉は、二人の幼い兄弟を両脇に座らせ、自分は今一人を懐に抱いて、 「ああ、この子たちのがんぜなさよ。自分は母としてこの子らをぜひ助けたいと思っても、敵に捕えられでもしたら、情けをかけてくれるはずがない。もう少し大人だったら、今若殿を斬るか、乙若殿を刺し殺すか、牛若殿はまだ幼いので、水に入れるか、土に埋めるかして殺されるでしょう。その時、私はどうしたらいいのでしょう」 と夜通し、泣き悲しんだ。

『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ
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