名所古蹟を訪ねる四十時間の後に十四日夜十時モスクワ発。夜汽車は北東に向けてひた走り、朝六時ヴォルガの右岸ヤロスラーヴリ駅に着いた。
だいぶ田舎めいてきた。ざっと市内を一巡りして、すぐヴォルガを下る河船に乗った。かなり大きな外輪船で、船室も食堂も、照明も、浴室も、設備は悪くない。
ヨーロッパ第一の大河ヴォルガは、この辺りでは河幅おおよそ七百米ぐらい。いくらか茶色がかった流れである。両岸は年度と砂の土質である。左岸は平原で右岸には緑の丘陵が起伏する。ところどころロシヤの太公望が釣りを楽しんでいた。魚は小蝶鮫が一番味が良いと、そばに居たロシヤ人が教えてくれた。
十五日夜半、船は纜をといてヴォルガを下った。夕方、河から見たときは、ヤロスラーヴリの町もなかなか美しかった。
「I々タル大江ノ水、翠色滴ラントスル両岸ノ景ヲ擅ニシ、飽クマデ看、飽クマデ眠リテ、水行三百八十露里」
十七日朝八時、ニジニ・ノヴゴーロドついた。
ここは、ヴォルガとオカ河と、二つの流れの合流する町だ。ニジニとは、 「低い」 という意味である。
人口は十万ぐらいか。 「高ク丘山ニ亘リ、低ク江河ニ副フ。外観太ダ美ナリ」 と広瀬が評したとおり、 「上町」 は丘の上にそびえ。
「下町」 はヴォルガと丘の間に広がる。工場もあるが、鉄や塩や小麦の集散で、有名だ。停泊時間がたっぷりあるので、有志たちが馬車を雇って市内見物に出かけた。とくに面白かったの市場
(ヤールマルカ) である。
ダッタン人の貿易が盛んだというので、それに負けまいとして十三世紀の中頃からアルスクの野に開かれた市は、百年前からこの町に移ってきて、いまはロシヤで一番名高いものの一つだ。六月二十五日に始まる。倉庫だけでも六十、急ごしらえの店は千五百を越えるほどの盛況である。
やって来る連中は商人や農民が主で、東ロシヤからの人も多い。外国人だって四十万人ぐやい居る。ひしめきあう群衆を取り締まる憲兵の姿が目につく。
野菜から宝石まで、どんなものでも売っている。品物は山のように積まれて、見本などは問題でなく、実物そのものを思い存分に取引しているのに驚いた。
河船はまた錨を揚げて進んだ。河幅はいよいよ広くなる。ロシヤ人は 「ママ・ヴォルガ」 と愛称しているが、想像していたほど美しい景色ではない。夕日の色が川面に映えたり、ゆるやかな丘の起伏がつづいたり、いままで見慣れた松や樅の大森林が南に下がるにつれ、だんだん柳とカシの小さな森に変わったり、南ロシヤのステップを後ろに控えて緑の原野が限りなく横たわり、ただそんな風光が目につくくらいである。
広瀬はゆっくりと移り行く両岸の景色のうちに、ロシヤという国の姿を感得し、それらを強く脳裏に焼き付けた。
河幅や水量の関係だろう。下りの船は進み行く方向に向かって昼間は旗を振る。夜は信号燈をたえず動かす。上りの船も同じような合図をする。なかなか規則がやかましいらしい。
ニジンから乗り込んできた人々には、ダッタン人が多い。ペテルブルグの料理屋のギャルソンの中によく見かけたタイプだ。中背で卵型の顔、黒い眼、吊り上った眼尻、浅黒い肌の色、髯はあまりはやしていない。小さな帽子の上に白いフェルトのポネットをかぶっている。青い色をした長いシュミーズが目につく。行商人としてはユダヤ人もかなわないほどの巧妙な商才をふるうとか、隣の乗客が教えてくれた。バクーの者でレヴィンといいますと名乗ったので、それからずっと行動を共にした。善良な紳士だった。
カザン王国の首都カザンに着いた。春になると大水に浸されるという野原の中の丘の上に立っている町だ。東洋語学の中心地で、大学もある。なんとなく東洋の匂いがぷんと匂う町であった。
十六世紀の半ばダッタン人をうち滅ぼした記念碑がものすごい。 「頭蓋骨の金字塔」 と言われている。その塔の下の穴には、実際骸骨がごろごろしていた。
三時間以上も停泊するので、この年三月出版されたばかりのカザン案内書を買って、広瀬は、レヴィンと一緒に町を巡覧した。
1891年の大飢饉はこの辺が中心だったから、いまだにぼろぼろの着物を着ている乞食が多いのも憐れであった。ただ道は素晴らしく広い、幅は50米を越える。中央の車道が40米あって、左右の人道が6米に近い。人通りはごくまれで、人道にも車道にも草が生い茂っている。その野草を、牛や羊の群れが時々道路のうえで食べていた。
いままで東流していたヴォルガは、これから一路南に向かって流れを変える。ニジンからサマラまでの間がとにかくヴォルガ下りの面白さだと言われるが、それでさえ一様の眺めで、結局は単調であった。しかも曇り空が多く、時々は雨天だった。
ただ今まで見慣れなかった東洋人たちの様子が眼を引く。その中でもバシュキル人は人目を引いた。背はがっしりとして高い。髪は茶色がかっている。
「クミス」 という牝馬の乳を呑む。これは少しアルコホルが入って栄養剤、強壮剤として常用されるとか・・・・。
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