六月十三日はクレムリンを見物に出かけた。
「モスクワの上にはクレムリンしかない。クレムリンの上には天しかない」
と、言う諺があるとおり、ここがロシヤの聖地だ。皇帝の権力はここで宗教的に神聖なものにされる。
イワン大帝の鐘は皇帝が御位についた知らせを人民に伝える。ここには宮殿と教会とが数多く並んで、地上の権力と天上の権力との合体をそのまま示していた。
ハトが何千も群れている赤い広場から、キリストの聖像をかかげて、お燈明を燈した救い主の城門 (スパスキヤ・ヴォローク) を通って、広瀬は中に入った。ぞろぞろ見物人が群れ歩く。頬かぶりをしているおばあさんもいる。ひげづらの百姓もいる。すぐ右手がヴォズネセンスキー尼院で、その隣に小宮殿がある。アレクサンドル二世の記念碑は、赤みがかかった大理石の台上、三十六米の高さに屹立している。すばらしく大きな皇帝像で、町の方向を睨んでいた。去年できたばかりだという新しさであった。
皇帝広場の西には、有名なイワン大帝の鐘楼があった。百米ほどの高さで五階になっている。下の四階は八角だが五階は丸い。てっぺんのドームは金色に塗られ、金十字架をいただいている。煉瓦とセメントで固め、まるで要塞のようだ。地階には聖ヨハネと聖ニコライとの教会が二つ並んでいる。上へ上ってみると景色は素晴らしい。1812年にはナポレオンも将軍たちを引連れてここに上ったそうである。
スタール夫人はここからの眺めを見て、 「ダッタン人のローマですね!」 と感歎したといわれる。たしかに今まで見たこともないエキゾチックな街の様子が眼下に広がっていた。イスパハンかバクダードか、千夜一夜の物語が現実に現れたような錯覚をさえ覚える。
モスクワ市内だけではない。遠い郊外まで、一望のもとにおさまる。足下には壁に囲まれたクレムリン。その内部にはドームの重なりあう伽藍がそびえ立ち、南西には、すばらしい大宮殿が、北には正面がかがやく白さに塗られた裁判所
(元老院) が。・・・・・・そうして東には赤い広場ごしにリアディ修道院が、手にとるように見える。その先には家々の大海が広がる。数えきれぬほど沢山な教会のドームと鐘楼とが、その大海の中に燈台のようにきらきらと輝いていた。
水平線には青い空が、東西南北には低い丘と緑の森とが群がり続く。広瀬は恍惚として、この大観に心を奪われた。
ウスペンスキー伽藍は、かねて写真で見覚えのあるとおり、ロンバルドー・ビザンチン様式の建物で、クレムリンのほぼ中央に位していた。
高い高いドームが真ん中に立って、四つ隅には小さなドームが群がりそびえている。これも写真のとおりだった。壁という壁、柱という柱に聖徒の像が一面に飾られている。キラキラ輝く金泥の列柱には天使や騎士の壁画が掲げられている。歴代皇帝の戴冠式が行われるのは、この大内陣だということだった。彼はふとイサコフ伽藍の内陣を思い出した。
大宮殿は千二百万ルーブルを投じて造ったというものすごく大きな建物である。
1812年の秋にナポレオンが一時住んでいたのもここだ。聖ゲオルギーの間に入ると、装飾は白と金で、壁に嵌め込んである大理石板には、勇戦した連隊の名前が黄金の文字で彫られている。
片隅にドン・コサック軍の首領でシベリヤを征服したイェルマックの白銀の像が目についた。女官たちの見事に飾りつけた部屋もいくつか並んでいた。
大饗の間は戴冠式を終えた後、外国の使臣たちを召して皇帝が初めて食膳に向かう場所だと聞かされた。宝物殿などは見ているうちに少し疲れてきた。どれもこれも金銀財宝ばかり。その五彩まばゆき宝物の群れに、広瀬は食傷ぎみだった。庭に出て思わず溜息をついた。
大兵営の正面には古びた大砲が二十門近く並べてある。緑の木々の上にそそり立つ東洋の夢をはらんだ高い尖塔を見て、彼は救われた感じがした。
元老院は一瞥しただけで、ニコライ門をぬけた。病人の守り神ニコライ上人のモザイク像が門の上にあるため、そういう名前がついている。フランス兵がこの像を投げ捨てようとした時霊験あらたかで、どうやっても無駄だったという伝説が門の上の碑文に麗々しく記されているのを見て、広瀬は笑いながら脱帽した。
赤い広場の南端に、不気味な魚鱗式な壁、奇怪な金米糖式な塔のにょきにょきはえている大伽藍が見えた。天下に名だたるワシーリ・ブラジェンヌイ寺院だ。イワン皇帝のカザン占領の記念だが、この建物が落成した時、もう二度とこんな傑作を作らせまいと、建築技師の眼をえぐりとらせたという有名な伝説が残っている。
つくづく眺めていると、今まで見たどの建物をも思い出させぬ。どのような様式にも属していない。世界で一番変わっている建物とでもいう以外に言い方はなかろう。妙なものを造ったものだと、広瀬はつくづく感に堪えた。
モスクワ河の南岸は、もとダッタン人の居たところだというが、今は、商人が沢山住んでいる。
有名なトレチャコフ画廊は、素通りして、真っ直ぐに 「雀ケ丘」 (ワロビエーヴィ・ゴールイ)
にのぼった。
ちょうど入日のころで、眺めは素晴らしかった。モスクワ渓谷から寺塔乱立する市内が一望のもとに見下ろせる。
1812年9月、ナポレオンがこの大都を遥かに望んだという遠望台にも立ってみた。ふだん贔屓にしているあのフランスの英雄に自分自身もなり代わったような思いがして、悪い気はしなかった。
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