『ロシア における 広 瀬 武 夫』 (抜 粋)

島田 謹二:著 ヨ リ

  寄 詩 人  (プーシュキン原作)

詩人要為真詩人 勿管喧囂世間評

世評翻覆雲又雨 昨日盛名今無声

可知天下無具眼 人間到處多心盲

詩人要為真詩人 熱心唯応守赤誠

詞壇即是帝王座 観來天高気亦清

筆陣縦横天地大 春花秋月寄此生

独耕心田亦楽地 不許成功促光栄

是非要向自家断 自家判得太分明

滔滔世上幾百口 孰与自家尤公平

詩人要為真詩人 自家應甘自家評

嘲者可嘲笑者笑 呼愚呼狂豈足驚

悠悠天地題其家 五字七字是長城

                 
広瀬武夫訳

== 第九章・ヴォルガ千里の流れを下る ==

四月から郷里の方へ予報していた 「黒海裏海巡視」 の件は、五月中にだいたい用意を整え終わった。
ヨーロッパ・ロシヤの中部をヴォルガに沿うて北から南に貫いてカスピ海に出、黒海のおもな要地を見てワルシャワを経て戻って来る。
一月の予定で、その予算560円を海軍省に請求したら、電報為替で57磅送って来た。ロシヤに貸して534ルーブル66コーペクが手に入った。
あちらからもこちらからも在外者の旅費の申し出が多いから、費用は与えられても、全額は無理で、ごく一部が支給されるだけだろうと思っていただけ、嬉しかった。
でも足りないことは目に見えているから、不足分は留学費で埋め合わすつもりだった。
留守の下宿に金を払うだけの余裕はない。荷物は知人に預けて、宿はたたんでしまった。いわば背水の陣である。それに階段だけでも百いくつのぼらなけらばならない部屋だから、どっちみち代えたいとは思っていた。

もう白夜になっていた六月十一日午後八時、ペテルブルグのニコライ駅発、急行列車は、広瀬の夢を乗せて走った。
翌朝明るくなって窓の外を見ると大きな道が一本続いて、眼に入るのは同じような景色ばかりである。
河を過ぎる。林をうがつ。村を通り抜ける。駅を過ぎる。十分間の行程はそのまま600ヴェルストのあいだ同じように続く平凡な風景の縮図であった。
モスクワ市の北東ニコライ駅に着いたのは、十二日の午前九時。旅館に荷物を預けておいて、午後馬車でスワロフ塔を右に見大通りを幾つか抜けて、赤い広場まで出、イワン塔にのぼって一通り大づかみにモスクワ市内を大観した。だいたい三時間で十分だった。

ロシヤ帝国の神聖な旧都、白い壁のこの都会はモスクワとヤウーザと二つの河に挟まれて、起伏する豊かな平野のなかに広々と広がっていた。
人口は120万もあるだろうか。十二世紀から記録にのっている町だというが、十五世紀から帝国の首府となり、美しい町の基礎を築いた。一番古いクレムリンを中心にして、シナの都?という意味か、キタイゴーロドが一番賑やかな部分である。白亜に塗った壁で囲まれ、緑色にひかる大きな塔や小さな塔がそそり立つ。
その中心街を巡ってある町がベールイゴーロド (白い都) だ。クレムリンから四方八方に放射する大きな街々が縦横に通り、宮殿や記念碑や美しい商店が軒を並べる。その周りに広がるのが砦に囲まれたゼムリャノイゴーロド (田舎町) である。
郊外は、市内と入り混じっているが、工場や兵営や停車場が並び、貧しい人々がうようよしている。結局、区域ごとに、大都会と城下町と田舎町とがある。パリ風の近代的な街とロシヤ風なただだだっ広い街が散在しているところだ。

西ヨーロッパ化しているペテルブルグには見られなかったロシヤの国民的特色が濃厚に感じられた。街は実に賑やかである。ありとあらゆる人間がぞろぞろ歩いている。日に焼けた髯面の農民がぼろぼろの靴を履いて歩いているかと思うと、茶色の上衣、黒い角帽、長いひげ、長い髪の毛の正教司祭が通る。古代ロシヤの四角い帽子をかぶった大商人が前を行く。天然真珠を身に飾った女は妻君だろう。
ダッタン人もいる。カルムック人、チェルケス人もいる。赤い帽子のトルコ人、ギリシャ人もいる。いや、黒い帽子のペルシャ人さえいる。下層階級の種々雑多な衣裳は、広場に立てられた市場の中で見られる。市場はいたるところにあって、野菜や卵や魚を売り、果物市や、花市が立ち、馬市や鳥の市さえ開かれている。
空気が乾燥しているせいだろう、少々歩くと喉が渇く。アイスクリームや果汁が、むしょうに飲みたくなる。

NEXT