こんな風の知り合いが出来て付き合いがあってみると、ロシヤの学者や教師は、概して真面目で、立派な人柄だ。信用できる。だが不思議に自分の国の学問より他国人の仕事を尊重している。
彼等は実に善良だ。フランス語の老教師など、週に二度広瀬の部屋に教えに来る。六階にいるから、階段だけでも百いくつフーフー言いながら上ってくる。広瀬は何とも言えず気の毒に思った。ふと同年輩の故郷の父を思い出したからである。
「年々相識ノミ加ハリ、去年東京ヨリ送リタルモノハ、旧冬ニテ殆ント其底ヲ払ヒテ閉口仕候」
と、父に宛てた手紙の文字から、どんなに彼がロシヤの友達にそれぞれ心のこもった贈り物を送ったかだ推測される。
東京にいる兄嫁春江は、八代夫人操子と計って、98年の夏見事に刺繍されたテーブルかけだの、美しい色彩のクッションだのを大分送ってくれたが、それさえいつしか不足してきた。
ちょうどペテルブルグの大デパート 「アレクサンドル」 が 「日本商人ヨリ引受ケタル5万5千ルーブルノ雑貨」 を売り出した。彼は、それで間に合わせるつもりで、
「貨物已ニ一通リ揃ヘ由候」 とも報告している。その中には絹物は全くなかったが、漆器類、金細工など、十分役立った。
こういうものに費やした金額は決して少なくはなかった。メモにも、日本雑貨、紙切、箱、金細工、簾など、10ルーブル30コペークと書かれている。
いま1899年春、兄嫁に頼んで買ってもらったロシヤ人の知り合いに送った贈物の表にずっと目を通すと、この辺の消息が見当つく。
彼は言う、高価なものははけ口も少ないし、くせのつくおそれもあるから、今回は取り止めにしたい。3円以下の品物を主にして、男の子に対する進物などみつくろい、合計60円ぐらいの品物が欲しいと大網を示して、次の様に細別してきた。
三円内外のもの |
五、六点 |
計二十円ぐらい |
二円内外のもの |
八、九点 |
計十五円ぐらい |
一円内外のもの |
十四、五点 |
計十五円ぐらい |
その他二三十銭ぐらい種々 |
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計五、六円ぐらい |
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その品物の種類は、日本画カード、縫物の写真ばさみ、日本色彩画のあるちょっとした飾り物、春陽堂の彩色ハンカチ、越後屋の絹地のふくさ、絹のテーブルクロス、巾着などである。
すべて絹物を望んだ。雀に桜の縫いとりのあるテーブルクロスなどは、ロシヤ人が悦ぶものだと、彼は兄嫁に報じている。高価な進物は、公使館附武官にでも任命された時、あるいはこの都を去る最後の大祝日の時などに、思い切ってはずもうという腹だった。
こうしてロシヤ人との交際のためにも経費はかさんだ。一人ならば十分なはずの広瀬の財布は、いつでもラクではなかったのである。 |