・・・・・・・こうして暮らせるのも八代のおかげだ。八代が親切に世話してくれたからこそ部屋の心配もなかった。
プーシュキン街のアパートの六階に住んでいたとは名ばかりで、部屋代を払う時オカミサンと一言物を言うだけである。普段はまったく八代の部屋に陣取って、勉強時以外には日本語で面白そうに話をして時を送っていた。
一年間居て四十号の部屋ではお茶一杯も飲んだことがない。これではロシヤ語を実地に使う機会が乏しくて力がつかぬ。そこで九十八年の晩夏から八代と相談したうえ、ロシヤのファミリーに入ることにした。これなら食事の時、日常の起居の時、おのずと言葉も口に耳に慣れると思う。
見つけた宿は、八代の家と三十分ぐらいしか離れていない。カザン大学からペテルブルグに転じてきた日本の神学生椎名氏の世話である。主人は大蔵省出勤の官吏だという。この転居を機会にスペランスカヤ嬢を断って、新しい新しい宿の夫人に習うことにした。宮廷づきの僧侶の娘で、教養のある女性だそうである。
九月十八日からこの新しい生活が始まった。しばらくいると、主人の呑気なのにはあきれた。アマチュア芝居にこって、金曜日には仲間を集め、座頭としてステージに立つのだと張り切っている。毎日のように家の中で熱心に練習を繰り返している。つくづくロシヤ人というものは呑気なものだと思う。
これがある程度教育を受けた階級なのだが、やっぱり大きな国の特徴なのか。ただ決まりきった仕事をだらだらのろのろとやっている。聞けば高級官吏は、元帥を第一級として、以下順次に十四階級に分かれているとか。
武官にも文官にも司法官にも同じ階位に属するものが居る。任官順に昇進するのだから、有能な人はあんまりのびられない。つまり個性は無視されるし、特別能力は認められない。衆俗的なものが重んじられて、猟官運動が勝ちを占める。
下級官吏の大部分は、教育がない。上役の鼻息ばかりうかがって、無気力な生活に甘んじ、ただ花札を開いて時を過ごしている。
ロシヤの生活が沈滞しているのは、こうした官吏制度が原因になっていることが多い。いわば共通の気質と目的をもって階級に縛られた軍隊を想像すれば、ロシヤ社会の実相が見当つく。
日本の官僚制度と考え合わせて、広瀬は憮然とした。
それにしてもスペランスカヤ嬢をどうして断ったか。実は広瀬がどうやらロシヤ語がわかるようになったのもスペランスカヤ嬢のたまものである。
彼女は大変熱心な教師で、なかなか得がたい人物である。それは広瀬にもよくわかった。
例えば一日一時間づつ会話を学ぶという約束だったが、時間さえ許せば一時間半も教えてくれる。
会話の実地練習のため夜訪問せよとしきりに勧めるから、時々その家に赴いた。日本の海軍士官が現れると、フランスの老人親子も加わり、一家を挙げて歓待する。夜のお茶に呼んでくれる。時には晩餐をふるまってくれる。広瀬も感謝していた。
それが夏のある日、スペランスカヤ嬢の名付け日のお祝いがあって、広瀬は言うまでもなく八代中佐も招かれた。いろいろ遊戯をして遊んだ。夜食が出た。席上話がはずんで、日本皇室のことが話題になった時、ロシヤ人としては何のこともないが、日本人が聞くと不敬と思う一語を女教師が何気なく口にした。
広瀬は普段夫人に対しては礼を尽くして優しい男であったが、この時ばかりは勃然として怒った。太い眉がみるみる逆立った。眼はかっとして火を放った。夫人連は震え上がった。スペランスカヤ嬢は平あやまりに謝って、不敬の語を取り消した。その場は何事もなく無事すんだ。
ほどなく広瀬はスペランスカヤ嬢につくのは止めて、他の教師を探すつもりだが、どうだろうと相談に来た。到底広瀬の志は動かせないことを悟って、八代は同意した。同意すると共に新しい宿を探すべきことを説いて、さてこそ新生活が始まったのである。
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