『ロシア における 広 瀬 武 夫』 (抜 粋)

島田 謹二:著 ヨ リ

== 第六章・東 洋 の 風 雲 う ご く ==

ただ山本権兵衛が海軍大臣になったのは嬉しい。名実共にその局に当ってきた実力者がその地位に就いたのだから、これだけは進歩だといえる・・・・・
その頃ヨーロッパ各国は盛んに東洋に海軍力を増加していた。ロシヤなどは、地中海艦隊から有力なものは引っこ抜き、新造軍艦はみんな東洋に派遣する策をとっていると実情を知っているだけ、彼はやきもきした。
俺がロシヤに来た頃は、海軍内部の待遇が実に冷淡なものだった。八代先輩に連れられて、内部の有力者のところへ紹介された。五、六回行ってもいつも居ないとかろくあしらわれた。答礼だって、よほど遅れてからでないとやって来ない。それが十二月初めから手のひらを返すようにガラリと変わった。兄の一行が来た時など、とても丁寧に待遇してくれた。あの変わりようには驚いた。軍務局の将校の家を訪問しいぇも、まえよりはずっともてなしがよくなった。それも最近急に有力になった日本の海軍力をはばかったからだろう。
「富士」 と 「八島」 は、去年の末、日本に安着した。兄の 「高砂」 は、完成が遅れたが、それでも五月の末には抜錨してニューカッスルを出、七月末にないよいよ東京湾にのりこんだ。みんな東洋の一大勢力となるのだから心強い。どちらから考えても、ロシヤは日本の勢力を充分重く見ているのだ。それだけ愉快だ。
海上権で圧迫されたら、国家の体面だって保たれない。海上の権力と財政の勢力をあわせ失ったら、二十世紀の無頼には到底登れない。お互いにしっかりやらねば・・・・・・と広瀬は改めて覚悟した。

それにつけても気の知れないのは新聞で見る民間志士とやらの対外硬という主張だ。バカがた旗を振って日夜騒ぎ回っている。ただ列強に向かって抗議しておくなぢとカラいばりしているが、見るに堪えぬ。腰がすわらないで、強い敵に出会えばすぐ引っ込む外交なんぞでは困りものだ。
あの海千山千の西洋人が、そんなかけ声だけで驚くものか。
今こそ日本人は、自重して、満を持して発しないのが得策なのだ。
抗議などと言うものは、最後の決心を聞かなければ腕力あるのみの意気がなくて申し出すべき筋ではないのである。
自分から憂国の士と名乗る連中に、とかくそうした軽躁な挙動に出がちな奴が出るのは苦々しい。
彼はフトこの春あった誰かの元気な顔を思い浮かべて、苦笑した。

NEXT