『ロシア における 広 瀬 武 夫』 (抜 粋)

島田 謹二:著 ヨ リ

== 第六章・東 洋 の 風 雲 う ご く ==

春が来た。自然の女神は微笑した。道がぬかるむ。雪が消えて、屋根が乾く。樋の中を雪解けの水が音高々と流れる。
外に出てみると、土が匂う。つぐみが歌う。ネヴァ河の氷が解け出した。それにしても河幅三分の一位しか河の流れが見えない。あとはまだ凍りに鎖されている。四月の太陽が笑い出す。復活祭が始まった。

祭日の前から四週間も “ものいみ” がつづく。一片の肉も口に入らない。いよいよその当日には、市内の電車が止まった。みんな着飾って寺参りに行く。大通りは夕方から戸を閉めてしまい、ただ小型の色電球をずっと一線にともして、救世主の復活を待つ。いよいよ十二時になると、イサコフ寺院の高い屋根に、大きな燈明がえんえんと燃え上がるのをを合図に、ペテルブルグ中の寺の鐘と言う鐘が一斉に鳴り出す。何とも言えないやわらかな調べである。ロシヤ人が正教の有り難味を感ずるのも、何となく頷けた。

祭日の当日は十七日である。知り合いの家々に進物を配った。あいかわらず八代先輩に相談の上それぞれ品物を選んだ。去年日本から持ってきたものと、兄がイギリスから転送してくれたものと、両方で十分間に合った。特別に買い入れたのは、フォン・ニーデルメルレル大佐の令息の海軍生徒のための写真帖だけであった。考えてみると、みんな八代夫人と兄嫁の心づかいで出来たものであった。改めてありがたいと思った。

一体ロシヤ人の好みはどんなものか──贈り物をする時気をつけてみていると、人から貰うものは何でも喜んで受け取るので、よく分からなかった。ただ八代先輩のもとにあったものも広瀬の手もとにあった物も、どれもみんな満足を買ったことだけは確かである。
下婢たちへの心づけは、八代の注意もあって、毎月忘れなかった。ペテルブルグではこの心づけがないと品位を落としてしまう。知り合いを訪ねたとき、外套を着せてくれる下僕に十五乃至二十コペーク、門番にも同額を握らせるのが普通であった。
十八日は亡き母の命日なので、彼は心静かに一人部屋にこもって、日本に便りを書きながら心ばかりの冥福を祈った。

四月も下旬になると、カラリと晴れた天候が続いて、何ともいえず爽快であった。
大陸の乾いた夏が、その後を追っかけるようにして来た。五月になると街燈は九時以後にならねば灯をつけぬ。午前一時にはもう人夫が消しにまわる。部屋の中でも朝は二時半から、夜は九時半まで本が読める。

五月七日。
「在聖都陸兵ノ観兵式ヲ当地ノ練兵場ニ観申候。壮観々々。特ニ騎兵ノ勇壮ニシテ服装ノ燦然タル、各隊毎ニ馬ノ毛色ヲ揃ヘタルナド、実ニ眼ヲ愕カシ申候。此騎兵総員、一斉、玉座に向ッテ吶喊馳突シテ、踏止マリタル光景ハ、世界ニ於テ観ルベキ偉観ノ一ト思ハレ申候」

五月十九日。
「当地ノ造船所ニ於テ甲鉄艦 「ペレスウェート」 (12674トン) ノ進水式、航洋甲鉄艦 「グロモボイ」 (併ニ通報艦 「アムール」) ノ据礎式アリ。露国両陛下臨御。武夫モ参観致候。無事式終ル。参観人、婦人至テ多シ。婦人ノ海軍熱ヲ証スルトセバ羨望ノ至リニ候ヒキ」

こちらが士官だから、陸海軍の行事に注目するのは当然だ。それにこの頃は東洋の風雲が険しく動いて、満天妖気をはらみ、ロシヤのみか、ドイツの活動がいよいよ目につく。独立自由の国と自他ともに許した合衆国さえ、世界に大勢に押されてか、建国の時の主義を変えて 「強弱争力」 の渦中に巻き込まれてきた。
クーバの独立を尻押しする名義で、大植民地を持つエスパニヤに喧嘩を売りつけ、海外に新しい領土獲よyと焦っている。その争いの火の粉がマニラのような東洋へまで飛んで来た。すでに実力で格段の差があったから、戦いを交えぬ先から結果は分かっているようなものの、五月一日カビデ湾外のエスパニヤ艦隊の負けっぷりは、いくじがなさすぎた。もう十年後にこの戦いが始まるのなら、日本海軍の威力をフィリピンあたりに及ぼす機会もあろうものを・・・・・・エスパニヤと合衆国とが戦うのでは、一日長びけば貿易上日本の受ける損害もそれだけ大きくなる一方だ。

昨年の冬から夏にかけて、膠州湾といい、旅順口といい、マニラといい、東洋の風雲はようやく動き始めたのである。
一驚一愕、ずいぶん日本国内の人々の眠りを揺り覚ました。広瀬のように、ロシヤの都に居ると、実力を失ったシナの意気地なさと、ヨーロッパ諸強国の我がまま勝手がよくわかる。よくわかるだけに、国際関係とはこんなものかとあきれ返った。
「腕力則権力」 ── こんなあさましい世の中では、腕を鍛え、自らを守る以外に方策がない。仁義とか威信とか表面だけ美しい言葉を妄信するのは痴者のやることだ。それにつけても、八代その他の言葉から推測すると、
(一) ロシヤの旅順占領は二十五年の租借で終らず、永久的である。
(二) ロシヤは東洋に海軍力を増加する一方である。
(三) ロシヤは日本の意向を注意し、とくに日本海軍を恐れて、日本の出方を注目している。
(四) ロシヤは日本に対して戦いを挑むほどの準備は未だ出来ていない、。
と大勢がいくらかわかってきた。

このころオエテルブルグの外交団で誰もが一様に感じたのは、ウィッテとムラヴィヨーフとが、勢力争いをしている。双方それぞれ後世に残る仕事をしでかそうと競り合ったあげくのはて、ムラヴィヨーフ側の強硬方針がウィッテ側の漸進方針を押さえつけたのだという見方が一般的であった。
でも、これからが大変だ。ロシヤはシベリヤ鉄道と旅順とを結ばねばならなくなるから、少なくとも建設費が、一億ルーブル要るだろう。日本に備えて海軍を拡張する費用がほぼ同額だとすると、・・・・あわせて二億ルーブルは計上せねばなるまい。これでは、どんなに金があっても、たまらない。もともと少し怪しいロシヤの財政は、うかうかすると、めちゃめちゃになるぞ、というのがもうひとつの一般的な見方であった。

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