『ロシア における 広 瀬 武 夫』 (抜 粋)

島田 謹二:著 ヨ リ

== 第三章・ふぶきのなかのふるさとびと ==
〜〜〜 中 略 〜〜〜

寒さはいよいよ激しくなって、長い厳しい冬が続いた。屋根にも町にも道にも野にも川にも、ただ厚ぼったい雪が、単調に降り積もる。これから二百日近く不愉快な気候が続く。どの家も戸と窓とを固く閉めて、ストーヴのそばで不潔な空気を吸いながら寝るだけだ。
「ロシヤという国は栄養のいい金持にとっては大変有り難い面白いスポーツの土地だが、貧乏人にとっては苦しくてたまらないでしょう。・・・・・」
「その通りだ」 と八代は答えた。
彼はこの十二月一日附で中佐に進級して機嫌が良かった。同日附で勝比呂も少佐になったことは、広瀬も聞いていた。故郷の祖母がどんなにか喜ぶだろうと思った。

「とにかく自然に恵めれぬ貧乏国だよ。一般ロシヤ人の食べ物などは惨めなものさ。ウラジヴォストークに勤務していたので、おれはよく知っているが、あそこなどロシヤ全体としてみれば片田舎だし、いよいよ冬ごもりになると、牛肉と鶏肉と氷に穴をあけて釣った魚がせいぜい二、三種かな。カンズメだけだ。野菜もカンズメ同様のキャベツとネギと芋と三寸ぐらいの大根だけだった。
ロシヤ人の食事は一日二度だよ。君と違うぞ。朝は茶と黒パンだけ。昼が一番ご馳走なんだが、それでもたいてい二皿、一つはスープ、一つは肉。それに茶が出るだけだ。
貧乏国だけに、食事は倹約だな。はしめおれはホテルに居たが、一食一ルーブル取るのに、とても大味で、美味いと思って食べてことは一度もない。仕方がないから、貿易事務館へ出かけて、日本食のお膳を出して貰うんだ。美味いな、あれは、少なくとも飯は八杯喰える。汁だって四杯は大丈夫だ。みんな驚いたよ。よく喰う奴だと思ったろう。
冬には牛肉が中心まで凍ってるんだ。のこぎりで挽き割って、包丁でたたいて、木を切るのと同じに割るんだ。見てると面白いよ。」
とこと細かに見聞談を聞かせたが、ふと調子を変えて、
「おれも初めは、どうせロシヤだ、どんな苦労も耐え忍ぶ覚悟で、寒かろうが不便だろうが、我慢するつもりだったが、やっぱりたまらん。友達がいなかったからな。
ロシヤ人の生活を見ていると、冬の間は全く酒と女にはまっていると言っても、嘘じゃなかろう。おれなんぞ、初めはこっちさえ清らかな生活をしていれば、あいつ等の真似はせずともすむだろうと思っていたが、どうして、どうして。
おれもまだ三十そこそこで若かったし、心の鍛錬も足りなかったのだ。いつの間にかロシヤふうになりかかっていたのに気がついた。その時はぞっとした。
君など酒を飲まぬから楽だろうが、一杯やるおれには、禁酒は言うまでもなく節酒もなかなか難しいものだよ。酒だけではない。人間万事、適度にやるということは、なかなか出来んな。
世間一般の慣わしからはなれて、山ごもりするならラクだがね。世間様と御一緒に住んで、それでいて守るところを失わぬということは難しい。
おれなどは、それまで三十年生きていて、何一つ成遂げなかった。これからはせめて、もう少し精神修養をしよう。今更偉い才人になろうと思っても学んでなれるわけではないし、さりとて立派な学者になることもおれには出来んから、せめて、正しい人間になろう。できたら日本男子といって少しも恥ずかしくない人物になろうと心掛けた次第だ・・・・・・・」。

ロシヤの生活から意外に話は発展して、とうとう八代の平素の覚悟の程をまで洩らすありがたい答えになった。
広瀬はふと思い出した。
ちょうど十八になった秋のこと。あこがれの海軍兵学校にパスしたと言う知らせを聞いたとき、嬉しさに躍る心をはずませて、さっそくその頃天草で裁判官をしていた父に知らせた。
折り返し父から、おめでとうと喜んでくれた末、これからは正直を旨として日本第一等の人物になれ、と励ましてきた。
その父の方針を自分はずっと今まで守ってきたつもりだ。いま八代の話を聞いてから、どうしてこの先輩とこんなに気が合うのか、その訳がはっきりしてきた。
同じ願いを持つ同志だからだ。正しい人間になりたいと言う同じ願いを・・・・・。
八代は兄の勝比呂より一つ年長だが、兄はもっと篤実で、もっと温厚である。他人の為に一肌脱ぐ八代特有の侠気は、どこに基づくものか、その源が分ったような気がして、広瀬は今更のように八つ年上の八代の凛とした美しさを持つ男らしい顔立ちにみとれた。

八代は、又こんな話もした。
「どうもこのごろの軍人は器械と同じだ。ただ欲望を追うだけで、 「忠魂義胆」 などというものは有るのか無いのかわからない。倫理とか道徳とか、そういう言葉を口にしただけでもう嫌われる。これでは精鋭な海軍など成り立たないよ。
それでは先ず己より始よとボクは発心したが、何も分らん。何を見ても不快だ。どいつもこいつも面憎く、いっそこっちが早く死んでしまいたいと思うこともあったよ。
そもころさかんに本を読んだ。もっともキリスト教には納得できんし、仏門にも入れなかった。ふとハーバード・スペンサーの 「綜合哲学」 を読んでみると、人生の行為 (コンダクト) の目的は幸福にある。その目的に合する行為が善で、合せぬものが悪だという一節があるのだ。
これなどは 「天ノ命ヲ之レ性ト謂イ 性ニ率ガウヲ之レ道ト謂フ」 という 「中庸」 の言葉を思い出させるだろう。 「天ノ道」 とは 「自然の諸法 (ロース・イブ・ネーチャー) 」 のことではないか。 「道」 とは仁義忠孝のことではないか。
もともと仁義忠孝などは、人間の守るべき大倫で、社会はそれによって運行される道だろう。そうではないか。
もっとも四書だって子供の頃素読しただけだから、深くわかっている訳じゃない。ただスペンサーを読むと、いろいろ教えられたんだ。
坪内逍遥というヤツがいるね。ありゃ同郷で昔からよく知っている友人だが、文学は人間の運命を語るもので、人間を善の道に導くのが目的だといつか書いていた。 つまり文学は徳に入る門だと観て、文学で一世を風靡し勧化しようと坪内は考えているんだ。
俺はそんなエライ者じゃないが、自己を修めねばいかんというヤツの説は俺も深く同感だ・・・・・」

この言葉で分る通り、八代は年長だし閲歴も多面なだけ、それだけ読書の種類も多岐にわたっていた。
スペンサーのような哲学書も読んでいるが、イギリスの陸軍少将ハートのものを自ら摘訳した 「兵術精髄」 というのを出してみせてくれた。
驚いたのは、アレクサンドル・デュマの長編伝奇 「モンテ・クリスト」 に精通している。聞けば日本訳はまだなく、英訳本で読んだという。1894年六月の夜、ハワイ真珠湾のホテルのバルコニーで小笠原長生大尉に三時間掛かって筋書きを話してやった、と得意である。
シナ詩も案外愛読している。 「長恨歌」 や 「琵琶行」 が好きで、機嫌のいい時なぞは、その一節を朗々と吟誦する。悲しいようなことがあると、きっと
  険夷素ヨリ胸中ニ滞セズ 恰モ浮雲ノ大空ヲ過グルニ似タリ
  夜静カニシテ海涛三万里 月明カナリ錫ヲ天風ノ下ニ飛バサン
と七絶を吟誦する。作者は誰ですかと尋ねると、王陽明だとかいう話だよと、作者など気にもかけない。自分の心境を歌っているから、自作のようなつもりなのだろう。

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