その夜、晩餐の食後、ランプを囲んでいろいろな話がはずんだ。豊富な経験を、面白く聞かせてくれる広瀬の話しぶりに、夫妻もまったく引き込まれてしまい、座を立つのが惜しまれて、出来ることなら一晩中こうしていたいと思うほどであった。
川上がたずねた。
「ぼくもペテルブルグに五年居たが、広瀬君もロシヤ滞在はずい分長かったですね。いろいろもの思うことも多いでしょう。」
「そう、ずいぶん色々な事がありました。体験の上からも知識の上からも私の生涯のうちで最も重要な時期でした。
色々な方面で、狭かった私の眼をロシヤは開いてくれました。来た当座は、ただ物珍しいばかりの椋鳥で、なにもかも八代君と川上君のお世話になりましたっけ。
あの頃は日本から持っていった日本人の眼で、ロシヤの風俗を外から眺めて、日本人の心で判断して、笑ったり怒ったりしていたのだと思います。
二年ほどロシヤ人の間で暮らし、ロシヤを縦横に歩いてみて、言葉もいくらか通じるようになると、もう前のようにいらいらしなくなりましたね。
ヨーロッパを見てくると、ロシヤのいい所も、悪いところもそれだけはっきりわかって、むしろロシヤ人に親しみさえ湧きましたよ。
国家としては、日本の恐るべき敵でしょうが、個人的な交際を考えると、いい人が多いですな。西洋とはいってもイギリスやフランスとちがって、ずいぶん東洋人に近いものを持っているようですね。
ときに川上さんはもうお読みになったと思いますが、とうとう僕も 「戦争と平和」 を読み上げました。」
と広瀬は目を輝かせた。
その言葉を聞いた常盤は嬉しかった。英訳だけれど、レフ・トルストイの大作はやっぱり読んでいたのだから。
物語の主人公の一人ボルコンスキー公爵は、アウステリッツの戦いで重傷を負った後、家に帰って、妻の死後、ナターシャ・ロストフを恋する。
この若い女の青春の美しさの描写に、常盤は目を見張った。しなやかな魂の目がさめて、肉の意味をさとり、はしめて自己を知り、本来の天性を自覚する時の女の喜びや、悲しみを、トルストイは生き生きと書いている。匂うような若さの持つ美しさが、光と影の多様な生活を織り出してくる。そこが素晴らしかった。
けれどナターシャはまだ若すぎて、アンドレイの優れている所が理解できなかった。才人クラーギンに誘われてしまう。しかしだんだん魂が成長すると、彼女はもう空虚な男には満足できなくなった。
一時は絶望のあまり、彼女は死んでしまいたいと思うが、そのうち本当の道を見出して、ピエール・ベズーコフと結ばれる。
「登場人物の心理分析も、至れり尽せりですね。正確だし精細を極めていますのね。」
と常盤は女性だけに、ナターシャの描き方を礼讃した。
「ずいびん長いもので、はじめは迷宮に入ったような気がしましたが、だんだん家族と家族の結びつきがわかってきました。しまいにはボルコンスキー家と、ロストフ家の人々が記録の中から抜け出して、生きてきました。
ピエール・ベズーコフがことにいい。結婚に失敗して、社交界のつまらぬことを知るでしょう。そてから生き甲斐のあるものを色々求めるでしょう。結局まるで意味のないものとしか見えない吾が命一つを投げ出して、圧制者ナポレオンを暗殺しようとするでしょう。あすこがいい。」
「君にもピエールのようなところがあるよ」 と川上が笑った。
「あんなに懐疑主義者ではないけれどな。いったいトルストイは、習俗の世界に入った人の生活は、暗いと考えているんですね。まったく境遇次第で動かされ、目前の欲望だけを追いかけるんだから。欲望を満たしてしまえば、夢は消えます。空しい生活が死ぬまで続きます。ふつうの凡俗は、そんな生活をしているんですな。ピエールだけはちがう。あれは理想家です・・・・・」
「そう、理想家というのでしょうね。ピエールは、神秘家でもなければ、聖者でもありません。ただ心を清くして単純な生き方をしているうちに、満ちわたる生命の光をあびたんです。澄んだ眼をしている男と書いてありますね・・・・・」
しばらく黙っていたが、広瀬はまた続けた。夢見ているような調子である。
「万一のことになれば、どうせこっちが勝つのは確かだけれど、両方でたくさんの兵隊が死ぬのでしょうな。そんなことなら、僕が単身乗り込んで、アレクセーフ海軍大将に穏やかにじか談判して、人道のため平和に開城させたいものです。僕も、ロシヤには五年近く居て、ずい分話になりました。ロシヤは、僕の第二の故郷です。世話してもらった事に対してはお礼するのが当然でしょう。日本の将校だから、日本のために戦うのは当然だが、同時に、ロシヤにも報いるような道をみつけたい。それが人道というものでしょうね。」
その時、彼は 「人道」 という言葉をはっきり発音した。何気なく聞いていた川上には、何だかかトルストイの言葉をそのまま聞いているような気がして、不思議は感動をおぼえた。
「戦争と平和」 からこれほど深い影響を広瀬は受けていたのである。
ただ一つ広瀬が承服しかねたのは、トルストイの歴史観だった。今まで歴史をつくるといわれた道徳とか、理性とか、国家主義とかいう力は、ただの抽象名詞で、実存しないと、トルストイは攻撃する。今日の歴史は化学のような自然科学ではないとも非難する。けれども、この人、又あの人をつくったものは何か。この人、又あの人を行動させる原理は何か。それは道徳や国家の問題になるのだ。それを考えない限り、歴史もなければ、社会もない。
社会をつくるのは確かに人間だ。しかし逆に人間は、そのつくった社会によって影響を受ける。たしかに個々の人間の意志は万能ではない。だからといってその人間がまったく無力だというわけではないのである。
人間の中には、他よりもっと有能な意思を発揮できる者も居る。トルストイはナポレオンを半神ではないというが、そてはその通りだろう。だがナポレオンとは、彼自身が居なくとも生まれたような出来事の中のただの無能な一人物だとは言い切れない。
いわゆる 「重要な」 国民とおもわれたものだって、たしかに言われたほど重要でないかもしれないが、決して無力な影だけのものではなかった。トルストイが個人の重要な内面生活を重く見たのは結構だが、その個人はそれ以外に社会的な目的を持っている。その社会的目的は、時には集団の生命をかえる力をもっている。個人の内面生活を重視するのはよいが、トルストイのように、歴史が偉い人だと名付けただけで、偉い人扱いにするのはおかしいとか、無自覚な内面生活者だけが実存する真実な価値を持っているとだけ強調するのも、少し行き過ぎではないか。
エライ人はやっぱり居る。英雄や勇士の力によって社会の変わる点も確かにある。それを見落としては困ると、彼は心の中で叫ばずにはいられなかったのである。
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