着いた翌朝、
「できれば、ウラジボストークを中心に、ポーセット湾、アメリカ湾などを視察したいのですが、ロシヤ側が許可するでしょうか」
と、主人に向かって広瀬は言い出した。この土地に来た彼の目的はそこにあったらしい。なにぶん日英同盟の余波を受けて、今は流言ひ語がさかんい飛んでいる。普段でも日本人が、あの辺りをウロウロするのを喜ばないから、ちょっと無理かも知れぬ、という川上の言葉に、広瀬は考え直したようである。
ウラジヴォストーク周辺の視察が出来ないとわかると、広瀬は日本海軍の将士がまだ一人も通った事のない、出来上がったばかりの東清鉄道の視察を考えた。
川上事務官の方からも調べてもらい、自らも鉄道局について駅員に確かめた後、彼はニコリスクまで逆行し、ポグラニーチャナ駅経由、満州に入り、旅順まで南下して、そこからロシヤの義勇艦隊にのって、長崎に出ようと決心した。
昼間は市内の見物がてら常盤と一緒に買い物に出掛ける。キクスカヤ街の事務館から東に折れて目抜きの大通りスヴィエトランスカヤ街に出る。この海岸の大通りは、まったくのヨーロッパ町である。軍港司令官邸の下をきたないマンザが通ったと言って、チュフニン夫人が眉をひそめてから、シナ人はこの通りを通行禁止になった。
シベリヤの主な町には、どこにもドイツ商店アルベルスの大きな店があったが、この大通りにもアルベンスのデパートが建っていて、何でも売っている。大きな商店も料理屋も、大抵この辺りにかたまっているのだ。
なにしろ五尺六寸もある大男である。常盤は五尺そこそこの小柄なので、連れ立って歩くといっても、かえって足手まといになりやすい。身体の調子もあって、いつもよりゆっくり歩く常盤を、まるで親身の妹のように、広瀬は足をゆるめ、よくいたわってくれた。
スヴィエトランスカヤだけは、さすばに立派な大通りだが、そこを一歩出ると、道はひどく悪い。雨の降った後などは、ほんとうにぬかるみの海になる。
或る一日、雨あがりに二人は市内に出た。泥道が脛をうずめんばかりにぬかるんでいる。常盤は渡りかねて困りきっていた。折悪しく馬車を雇おうにも、その影が見えない。そのとき、突然、広瀬はジャブジャブと泥海を渡っていった。ウラジヴォストークに着く早々新調させたズボンと靴とは泥まみれになった。こうして彼は馬車を雇い、常盤を乗せてくれた。西洋の騎士道の模範だと聞く、サー・ウォルター・ローリーが、ぬかる道に歩き悩んでいた女王の為に、惜し気もなく立派なマントをさっと敷いて、女王の履き物を汚させなかったという有名な話を思い出して、広瀬の心根のうちに日本の騎士の面影を感じて、常盤は深くうたれてしまった。
そのころ川上家は十九才になる書生を雇っていた。書生は柔術の心得あるのをしたり顔に、ときどきそれを乱用し、下僕のシナ人とすぐに組み打ちをしてドタンバタンとやる。それに困って広瀬の着く少し前に暇を出した。その後彼は、ウラジヴォストークの日本人道場に転げ込んで、いまだにとかく乱暴を働いている。そうゆう話を聞くと広瀬は勃然として憤った。
「もってのほかのことですな。武術は本来身を守るためのもので、術を誇って人を苦しめるなどとはとんでもない。そんなことは邪道です。普段勇気と忍耐とを充分に養って、そういう美徳が日常生活にまでにじみ出るようにならなけらばいけないのですよ。
勝負の時は相手がどんな点で優れており、どんな点で劣っているかを一目で見破り、まわりの事情もよく考えるだけの判断力と注意力とが必要です。
自他に関係を明らかにした後、初めてこちらからほどこす技も出てくるのです。柔道は力や技だけではありません。
私はご承知のように、嘉納治五郎先生に教えを仰いだのですが、先生はよく情を制せよとお説きにまりました。つまらぬ感情の為に本心が奪われてはいかんというのですね。なまじ怒って、怒りの為に身を滅ぼすというようなことがありますから、いやしい情の為に我を忘れるのは一番いけないというふうに、先生から御教訓を頂きました。
今お話を伺ったお宅の書生は、所もあろうに道場で、柔道を誤解して乱暴を働いているとは、けしからんヤツです。」
翌日の午後、広瀬は常盤には行く先を告げずに出かけた。フォンタナヤ通りの西本願寺別院の中には、大分以前から浪人の集まる梁山泊めいた道場があった。借り物の普段着姿の広瀬は、玄関に立って案内を乞うと、出てきたのが昨夜の話の主人公と思われる若者だった。
きかん気の暴れ者らしい。通りがかりの者ですが、一手お手合わせ願いたいと丁寧に申し入れた。
場所に慣れていないので、そこだけを警戒しながら、若さに任せて力任せにつかみかかってくる相手の隙をうかがって、先ず小外刈でさっとはらった。見事にかかった。一本!と判定者が叫んで、幾人か見ていた仲間の連中がどよめいた。
すぐにまたつつかかってきた。いらちにいらついて挑みかかってくる。しばらくもみあったが、抑え込みが得意らしく、その技を何度もかけてくる。
ところが抑え込みにかけては、広瀬の方が講道館有段者の中でも指折りの剛の者に数えられているのだ。若い相手がこれを防げるはずはない。逆にかけられて、書生はグーの音も出なくなった。
三本目には相手も怖くなったと見えて、積極的な攻撃態勢を捨てて、とかくさけがちになった。こちらは、相手の早くも疲れたのに乗じて、手をかえ技をかえ、へとへとにさせた上、俵投げできれいに最後の一本をとった。
文字通りに書生は参ってしまった。まわりの人々も只者ではないと見たらしい。急に丁寧な言葉使いに変わって、広瀬の姓名を問いただした。
川上君の友達ですが、とだけ名乗ると、書生はすっかりしゅんとなってしまった。きかん気の乱暴者だが見込みはある若者と見て、若いのによくお出来になるのだから、柔道の本義を学べば、もっと立派になれます、となだめておいて、昨夜川上邸で話したような武道の精髄を、嘉納先生のお言葉だそうですがと謙遜しながら、こんこんと諭した。
それからは書生も前のようには乱暴でなくなったという噂が立ち、日本浪人の面目も少しはかわって、ウラジヴォストークの道場も良くなるだろうと心有る者は喜んだ。
このことはいち早く川上夫妻の耳に入った。自分たちには迷惑を掛けないで、困った問題の一つを陰ながらさばいてくれた広瀬の仁侠に、夫婦は深く感激した。
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