広瀬少佐がやって来るという報せを聞いたのは、常盤がこうした気持ちに陥っていたある日の事であった。報せは早く着いたが、なかなか来ない。もしや途中でどうかされたのではなかろうかと案じているうち、三月三日ひな祭りの夕べに、明日着くという電報が入った。
四日の夕暮れ、一輌の馬車が、貿易事務館の官舎の前に止まった。駅まで迎えに出ていた夫が降りた後から、日本の海軍将校がつづいて、玄関に降り立った。
広瀬中佐にちがいない。ただ写真で覚えていた輪廓は、いま目の前に見るその人のこわいようにりりしい男ぶりを充分に伝えていなかった。
灯火がつきそめた。夕暮れのもやの中に、盛装した小柄な若い女の白い顔が、ぼんやり浮いているのを見て、広瀬のほうでは、ハッとした。顔立ちは違っているが、なんだかその周りに浮んでいる匂いというか面影というか、それがあの忘れられない人を思わせたからである。
川上夫妻は、すぐにこの心待ちに待った客人を客間に導き入れ、じつは今日アメリカ領事の招待を受けていて、この段になって断る事はエチケットからは許されないので、止むを得ず出掛けます、と詫びた。よくおもてなしをするようにと、女中や下僕にいいつけて、折角の客を一人残して夫妻は出掛けた。
宴会が済むのを待ちかねて、そこそこに帰ってみると、広瀬は、川上の書斎で久し振りに接した兄嫁の便りを懐かしそうに読んでいたが、川上たちが入ってくるのを見ると、たちまち常盤に向かって、
「おくさん!」 と呼びかけ、
「たいそうご馳走になりました。あまり食べたものだから、接待役のシナ人も驚いていたようです。たしか、飯櫃が空になりましたよ。」
と、笑いながら言った。
その語調が、子供のように淡白であどけない。こんな話し方をする人に、長いこと会ったことがなかった。常盤は、わけもわからず嬉しくなった。折角おいでの時に、家を空けましてと侘びながら、ハバロフスクからずいぶん長いことおかかりになりましたね、と聞くともなしに尋ねると、
「昨日から乗り詰めで、三十時間以上掛かりました。ウスーリ鉄道というやつは、721ヴェルストばかりなのに、なかなか時間がかかって、平均すると一時間に23ヴェルスト足らずしか走れませんね。でもまあ、ロシヤの汽車としては早い方かな」
と、また笑った。
昨日から今日の午後にかけて通ってきたウスーリ河畔の森林や丘陵地帯が目に浮ぶ。鉄橋が多かった。時々ステップのような地域が続く。興凱湖のほとりの盆地から、段々平野が見え、人家がちらほらし、岩石の多い山景があらわれ、そこを一路南に走ると、車窓から静かに横たわっているアムール湾が遠望された・・・・・。次々に現れてくるその山色海光が、一瞬の間、広瀬の脳裡に稲妻のようにひらめいた。
とにかく長旅で疲れたろうから、ゆっくり休んでいただこう。ここには、来客用の部屋もあるから、気兼ねをしないで、泊まってください。ペテルブルグの連中の話も聞きたいが、今夜はお疲れだろうから、早くお休みになるように、との川上夫妻の言葉のままに、広瀬は別棟の客間の中で、手足をのばした。日本の領土に一歩入ったような気持ちであった。
翌朝、常盤の起きるのを待ちかねて、シナ人のコックがご注進におよんだ。
「昨夜のお客さんは、どうもよほどの大食漢です。三人前位はあるつもりで炊いた飯櫃が空になりました。今日からは、よほど沢山炊かなければなりますまい。」
と、身振り、手まねを交えての説明に、常盤は、昨夜の広瀬の最初の挨拶を思い合わせて、笑い出した。
「まずいものでも喜んで味わって下さるお客様なら、本当にあり難い事です。できる限り注意して、美味しく作って下さいね。」
と、彼女はいつもより丁寧にコサックに頼んだ。
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