『ロシア における 広 瀬 武 夫』 (抜 粋)

島田 謹二:著 ヨ リ

== 第二十二章 ・ 日 本 の 騎 士 ==

川上常盤の新しい生活は始まった。覚悟はしていたが、寒さの厳しいのみは驚いた。零下二十五度に下がった時さえある。物置に置いた鯛や鮪は、水の中に四、五時間浸して、とかしてからでないと、包丁の刃があてられぬ。
空はよく晴れていた。来る日も来る日も、雲のかげりさえ見えない。烈しい寒気はピリピリ肌を刺すように感じる。でもその凛とした寒さの仲の気持ちは引き締まって、言うに言われぬ快さである。
ロシヤ人は大人も子供も皆外へ出て遊ぶ。一月の中頃から、軍港司令官の官邸の下の海が凍ると、みんなそこに集まってスケートをする。学校へ行く前に来て、練習している中学生もいる。両頬を真っ赤にして氷すべり用の靴を提げ、帰って行く若い女もいる。老人は、さすがにただ見物しているだけだが、十代から三十代までは氷の上で上手に舞踏さえやってのける。
演劇も盛んだ。オペラドカというのは、なかば歌、なかば所作で、オペラのように上品ではないが、面白いから、オペラドカがかかるといつも客が一杯だ。室内の遊戯ではトランプが盛んである。みんなお金をかけて大規模に遊び、夜の更けてゆくのも気づかない。

常盤は、日本貿易事務官の夫人として、主だったロシヤ官人の家庭を訪問した。
軍務知事チュチャコフ夫人がウラジヴォストーク社交界では最上席である。五十くらいだろうか。顔はツヤツヤして、もの言うたびに溢れんばかりの愛嬌をたたえている。夫のチュチャコフ陸軍中将が、ベルギーの公使館附武官をしていたせいか、外国人にはとくに打ち解けてくれる。常盤が初めて訪問した時、わざわざ心を遣って英語で話してくれた。
「私にも、あなた位の娘がありますのよ。いまウフトムスキー公爵の妻になっております。今日は、娘と殆ど同じ年頃のあなたにお目にかかってほんとうに嬉しゅうございます。これから、ご遠慮なく、時々お訪ね下さい。なんなりとご相談相手になりましょう。
身分は高いけれど、ウラジヴォストークでは海軍の方が優遇されているせいか、チュチャコフ邸ではあまり宴会などに人を招かない。

それにひきかえ、派手なのは軍港司令官チュフニン少将夫人であった。まだ四十にならないだろう。
美人というほどでもないが、衣裳の着こなしといい、応対の上手なことといい、どこかフランス風に洗練された夫人であった。
英仏独、どの国語にも通じている。文学や美術のたしなみも深い。ちょっとした話にも趣味がある。シェクスピヤやミルトンやグレイ、アーヴィングやロングフェローやホーソンと、英米文学の話になると、常盤とはほんとうに気が合った。相手の身分も高いし、こちらが行けば喜ぶから、時々心安く行くようになった。
夫人が客に会う日は、日曜と月曜だ。最新式のパリのモードを追った衣裳をぴったりと着こなして、上品に軽やかに客人の間をとりもつ。五月以降になると、四時から六時の間に、二階のヴェランダで心安い知り合いにだけ茶菓のもてなしをする。
素晴らしい眺めである。このヴェランダから見ると、右の方に幅の広い階段が整然と続いて、すぐその下が花園になっている。ほとんどありとあらゆる花が所狭しと咲き乱れている。
花園はすぐダラダラ坂になって、そこから二万坪の大庭園が、海まで近々と続く。金角湾の向こうには、山がそびえる。この海も、この山も、ことごとくこの美しい庭園の為に存在するように思われた。かって英語の小説で読んだヨーロッパ中世の領主の庭園というのは、こんな風ではなかろうかと空想される時もあった。

港湾局長エゲルマン夫人の父は、アメリカ人だったというが、ロシヤの社交界にありがちな誰にも愛想よくする人ではない。気に入らないと、どんな偉い役人にも頭を下げない。ロシヤ夫人に珍しく、善悪、正邪の観念が発達している。片親がアメリカ人のためか、英語は自在にしゃべる。社交界では一派をなして、少数の裏表のない人々とだけ行き来をしている。
この夫人のお茶の会では、合奏したり歌ったり踊ったりするが、誰も皆、知り合いの如く気の置けない仲間ばかりだから、皮肉な冷評を口にする人もなし、意地の悪い言葉を出す人もなし、ほんとうに楽しい交際らしい。川上夫人に対しては、大変な好意を見せた。そのおかげて、日本在留民も間接に何かと利益を受けることが多かった。

この軍港には、二年前から、主に極東各国の語学を研究する東洋学院というものが開かれていた。大学の資格をもつ高等研究機関である。そこのポズネフ院長夫人は、教育を充分に受けたロシヤ上流婦人の典型的な代表者だ。英語も少し話す。フランス語は流暢にあやつる。ドイツ語はことに得意だ。充分学識もある上、音楽にも手芸にも優れている。それでいて彼女は、まめに働く世話女房だ。部屋の中の整理も、道具の置き方も、窓べりの植木蜂の世話も、なにもかも人手を借りない。料理はいちいち台所に出て監督する。三日に一度、四日に一度は、自ら市場に出向いて、品物の有り無し、時の相場などを調べて、決して、すべてを下僕に任せたままにはしない。
このポズネフ夫人が、常盤を大変愛した。毎週月曜の五時になると、きっとおいで下さいと招いてくれる。訪れると、すぐ食堂に案内する。純粋なロシヤ風の珍しいお菓子が五つから七つ位まで並んでいる。そのうちの一つか二つが、夫人のお手製なのである。
お茶は必ず自分で入れてくれる。その後、夫人の居間で縫いとりを始める。毛糸で花鳥を縫いとる。幅1メートル、長さ3メートル余もある大きなもので、お寺の祭壇の前に敷くために奉納するものですと説明して、常盤にも手伝わせる。一緒に縫いながら、ロシヤ語を教えてくれる。七時になると晩餐を出す。
食後は、ピアノを習い、舞踏をさらい、愉快に時を過ごして、十時の鐘が鳴って、帰る時には下女に送らせる。

これらの名流婦人と知り合いになって、色々引き回されているうちに、いつか夏が来た。夏は、以外に暑い。ことにホコリの多いのには驚いた。 「黄塵万丈」 という形容詞は、ウラジヴォストークの実景を実によく表している。
でも、夕方、海に浮ぶ時は別天地だ。金角湾内をそこここと漕がせて、涼風を身に受ける楽しさは、言いようがない。いつもロシヤの軍艦五、六隻が停泊しているので、毎日、日没といっしょに夕べの祈祷が捧げられ、賛美歌が歌われる。暮れかかる波の上に、静かに太い低音で、入相の譜を聞く時は、なんともいえない崇高な感じがわいた。

NEXT