広瀬がいよいよシベリヤ踏破の橇車に乗ったのは、二月十二日の朝である。
シベリヤの一番寒い時は少し過ぎていたが、でもまだ橇を走らすには都合のよい時だといえる。スレチェンスクの街でロシヤ官人の経験者に問い合わせてから、用意した。
第一、ソリ車。第二、衣服。第三、食物。色々なものを充分に整えるだけの費用は持たない。くやしいが、彼は八分通りの用意しか出来なかった。
橇というのは、車のない粗末な箱馬車を想像すると見当つく。その箱の中に行李を積んで、ふつうは二人の旅人が乗る。
2000ヴェストル以上の長距離を旅行するならソリを買う方がいいでしょうといわれて、彼は一台買いこんだ。ふつうの橇は覆いもないから、青天井が上からのぞく。広瀬のソリも今度の旅行に耐えられるだけのものを買い取ったので、ごくありふれた粗末な構造である。幾度か途中で修繕しなければならなかった。
この橇の中に麩とわらを敷いて、自分の柳行李を乗せ、その上に毛布を敷き、腰の周りを肘掛で覆い、身体には防寒用の外套をまとう。馬は二頭乃至三頭をつける。先を急ぐ広瀬は、多くの場合三頭で引かせた。
衣服も、ロシヤ人から注意を受けただけの仕度は整えた。一番下につけたものは毛皮の厚い襦袢だ。これは1894年の戦争のとき天皇から頂いた品物である。
背筋が冷えるとたまらないという話だったので、広瀬は思いついて、襦袢の背筋に当たる所に真綿を縫いつけた。腹にはフランネルを捲きつけた。腰には、ペテルブルグの日本人から貰った真綿でつくった半ズボン下をはき、その上にフレンネルのズボン下を重ねた。ある人の話では、肩から寒さの入るのが我慢できぬというので、日本水兵用の毛織襟衿巻を肩から十字に巻きつけ、その上に将校服を着た。
外套はつごう三枚を重ねる。第一は、表も裏も毛皮のもの。寒さがある程度度を越すとほとんど効き目がないから、毛皮でないと役に立たぬ。第二は、軍服の外套。これは充分綿が入っているから、ずしりと重い。第三は、ロシヤ人が
「シネーリ」 という外套。ずい分価は高いが、ペテルブルグでもこれさえあれば大抵の寒さは凌げた。ただこの 「シネーリ」 は、もともと社交界の紳士の着るもので暖かくはあったが、橇の旅行には向かない。旅行用ならは、毛皮の筒袖になって、手先の運動の自由に行える
「ダハ」 という、ゆったりしたものが適している。でも 「ダハ」 を買う金がなかったので、広瀬は手先を直すのに、はなはだしく不便な、あつい
「シネーリ」 と、綿の入った軍服の外套とで、我慢した。
外套を三重にはおって、頭にはなお毛皮頭巾をかぶって、風に耳を覆う。指の凍えるほど苦しいものはないという話も聞いたので、毛糸の手袋をはめた後に、親指だけ離して、他の四本の指を一緒にした毛皮の厚い手袋をつけた。
「シネーリ」 のかくしに手を突っ込んで歩くから、指も三段の防禦を受けることになる。それでも寒気のはなはだしい時は、指先が疼く。
足の冷えるのは苦しいものだと聞かされたので、靴にはことに心をつかった。かねて、ドボロトボルスキー大佐が北氷洋を航海した頃、サマエード土人がつくった靴を買っておいたからといって、選別にくれた。毛皮で出来てなかなか立派な靴である。これをじかに履いたり、半靴の上にこの靴を履いたりした。
もうひと、つこれも選別に貰った長靴がある。これはペテルセン博士がある年の冬、ウラル附近の山の中を歩いた時、役に立った靴である。熊の皮をひっくり返して、長靴にしてある。水分が少しも滴らない。雪を踏んだまま部屋へ入っても、これなら楽である。
彼は一メートルほどのフランネルをつま先から巻上げて、ズボンの上からしっかりと巻きとめた。その上にすぐ熊の皮の靴を履く。永く履いていると脂がにじんで来て、冷たくなる。そんな時はもう一度巻き直すと、足が暖かくなって来るのである。
食料品は、途中にろくなホテルもないから気を付けなけらばならぬ。仕入れた主なものはパン、スープ、肉、茶、砂糖などである。
二月十一日の紀元節を心ばかり祝ったその夜、スレチェンスクの宿でスープを命じたところが、熱く煮え立ったスープが、すぐに凍ってしまった。その氷結したスープを木綿のズックに入れて塵を防ぎ、橇の中に入れて、宿を出た。馬を取替えに着いた時、木綿ズックを取り出して、金槌で、時にはノミで、砕いて、氷スープのかけらを鍋に入れて暖めて飲んだ。
ある時、天候が少し暖かかったので、スープを空き瓶に入れたところが、じきに寒気の為に凍結して、瓶が壊れてしまった。。それからまた木綿ズック式にもどした。
肉は、焼いたり煮たりして、固く凍ってのを持ってゆく。駅に着いて馬を替える時、暖めてもらう。ほんの二、三十分の休憩だから充分にグツグツ煮込むだけの余裕がない。半煮えの肉を引き上げて小刀で削り、丁度鰹節を削るように細かくして食べた。
ハード・ビスケットのように、水分をぜんぜん含まないものは安全だが、パンでも水分を持つものは、すぐ凍結した。これも小刀で切って食べた。要するに胃腸の丈夫な者でなければ、とても耐えられぬ食物ばかりである。
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