『ロシア における 広 瀬 武 夫』 (抜 粋)

島田 謹二:著 ヨ リ

== 第二十章・ 誰 破 相 思 情 ==

暑い、暑い。日本の夏よりかえって凌ぎにくいような気さえする。その夏も、八月四、五日からめっきり涼しくなった。どことなく北国の秋がしのびこんできた。九月の初めから暫くの間は、よく晴れた。瑠璃色の高い空が思い存分地上を掩っていた。公使館へは毎日出勤する。前よりずっと忙しくなった。野元のいた頃に比べると、比較にならない。酒井大佐は、ロシヤ語はまるでわからないし、何もかも部下任せの人だから、武官の仕事はみんな広瀬たちの方にまわされる。
例えば、八月二日、イギリス駐在武官黒井悌次郎中佐が来た。上村少将のお伴をして、北イギリスやスコットランドの名所や造船所も一緒に見て歩いた三期上の先輩である。酒井大佐をリーダーにして、田中少佐、加藤大尉を随え、ペテルブルグ周辺の軍港や造船所の案内をした。一行の中ではロシヤ滞在がもう一番長いので、広瀬が中心なって何もかも世話をした。黒井は満足して、十五日にモスクワに向けて出発した。セヴァストーポリ、オデッサを経由して、コンスタンチノーブルに向かう予定だと言っていた。

こんな風に忙しくはなったが、酒井という人は悪気はない。ああいう人だと思えば、気は楽だ。いつだったか兄から教えられたことがある。こちらがどんなに働いても、手柄は人に与えてしえというのである。あの痛い忠告は、このごろこそ特に必要になったのだと考えて、何もかもそういう覚悟で処置することに腹を決めた。
それにしても、その頃数ヶ月のロシヤ新聞の記事は、広瀬の心を明るくさせなかった。二月末、文部大臣狙撃事件というのが起きた。これはモスクワ大学を追い出された一学生が面会に来て、大臣ボゴレポフをピストルで撃って、喉を貫いたという出来事である。
反動思想の持ち主だったが、きわめて正しい人間であったボゴレポフはその傷が元で、三月十五日に亡くなったという記事が新聞に出ていた。
日本の国情 ━━ 明治の教育の理念、特に軍律の厳しい兵学校に学んで、それをよしとする広瀬には、聞くも忌まわしい事件だった。 「学生ノ騒動ハ頻年ノコトニシテ聞クモウルサキコトニ有之候」 と、彼は当時まだ生きていた故郷の父に苦々しげに書き送っている。

ロシヤ社会事情だけではない。ロシヤ海軍の動向は彼の心を寒くするに足りた。
八月二日には、最新式の戦艦 「アレクサンドル三世」 が進水したと書かれていた。フィラデルフィヤのクラムブ造船所で造ったというから、兄の乗っている 「笠置」 と同じ型だろう、一等巡洋艦 「ワリヤーグ」 が、八月十八日には、極東に向けて出発したという記事があった。少なくともペーパー・プランでは、排水量も 「笠置」 より三割大きいし、速力も速いし、武装も強力だし、すべてが新式だから、手強い相手である。
機雷敷設艦 「アムール」 「イエニセイ」 の二隻も、近く極東に向かうはずで、ロシヤ皇帝が親臨された。
両方とも2590トン、17ノット半の速力で、港湾防禦に恐るべき威力を持っているから、油断できない。
これら既定の案に加えて特に用心すべきは、もう一、二ヶ月以内に新戦艦 「ペレスウエート」 が旅順に向けて出発することである。一等巡洋艦 「アスコリド」 と 「ボガチール」 の二隻も、年内にはそれに加わる予定だと書いてあった。
ロシヤは、東洋艦隊の整備に全力をあげて、新式な軍艦は殆ど全部シナ海に集中する方針らしい。これに対抗するには、こちらにも充分な準備と覚悟がなくてはならぬ。第一期、第二期の日本海軍拡張案は、去年で予定を完遂した。1895年の形勢では、あれで十分対抗できたが、1898年のロシヤの大拡張案が着々実現されてみると、こちらが新しい手を打たないかぎり、楽観は許されない。うかうかすると大変なことになる。噂に上っていた戦艦装甲巡洋艦各三隻を主力にする第三期拡張案を一刻も早く実現しないと危ないぞ。
祖国の運命を思うと、暗い考えが、それからそれへと考えつづけられた。

それにつけても日本海軍の当局は、ロシヤの研究をどこまでやっているのか、聞きたいものだ。
小さな問題でもまとまり次第、こちらは今まで本省に送ったが、つまらんものでもあの 「随録」 がわかってもらえない。
ロシヤ事情に精通している中心者がいないから、何を調べても、何を究めても、手ごたえがない。新しい分野の開拓者などと自称するのはおこがましいが、有力な大先輩や信頼できる大先達のいない仕事は、なかなか理解してもらえないものだなあ。
これがイギリスの情報とかフランスの記事とかいうと、誰でもみんな飛びつくように読んでくれる。ロシヤになるともうだめだ。一番大事な生命がけの相手なのに、ロシヤのことはまるで無視する。無視されるのはまだ我慢できるが、口惜しいのは、同じ分野の仲間に悪意を持った奴がいて、陰口を叩くことだ。つまらぬことをやっている、あいつのやり方は古いとか、ロシヤの真相はあんなことでは伝わらんとか、自分等の仕事の取るに足らん事は棚に上げて、悪口ばかり言っておる。
ひどいのになると、広瀬がつまらんことをするから他の連中が迷惑しているなどと教育本部宛てに中傷する奴さえいる。現にあそこの副官がヘンな注意をよこした。ロシヤ研究をやった以上、もう少しロシヤから学んで、大きな人物になったっていいと思うのだが、すぐ小感情を丸出しにして、小さな功名心にかられるのが浅ましい。十歳も違う先輩なら、後輩を引き立ててもいいはずだが、後輩が真面目に努力していると、却ってケチをつけたがる。一時は癪にさわって癪にさわって、 「随録」 を書く気にもならなかったが、五月からまや始めた。八代先輩に対する通信機関にしたかったからだ。八代さん以外に少しでもロシヤを知ろうと真面目に考えている士官があるならば、そういう人には必ずしも無駄ではなかろう。読んでいただければほんとに幸福というものだ。
そう思って一週間に一度位づづ海軍省に通信した。リガ博覧会の記事でも、実地に見聞したものを三、四号にわたって、酒井大佐を経て提出しておいた。どうせ印刷にはならないのだから、誰も読んでくれる者がなければ、せめて兄にだけは手にとってもらいたい、読む価値がなければ、読まずとも、やってるなということだけでも知ってもらったら、それでいい。一切の毀誉は後に任そう。今の世にわかる人がいなくとも、おれはおれの最善を尽くす・・・・・・。

官報によると、島崎 (好忠) 、三須、伊東と次々と将官がつくられている。まあ目出度い、目出度い。長生きすれば、おれも少将位にはなれるかもしれん。おれがアドミラルとはおかしいが、何も将官になる人がみな偉いわけではあるまい。義理にも偉いと言われないような人もいる。あんなことではいずれそのうち行きつまる。頭ばかり大きくて、全体としてだめになるのではないか。俺が心配するのもおかしいが、海軍省でも、軍令部でも、艦隊でも、鎮守府でも、どこの官制を見たって、いずれそのうち大淘汰をせねばならぬ時が来るのではないかとかげながら案ぜられるような陣容だ。

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