『ロシア における 広 瀬 武 夫』 (抜 粋)

島田 謹二:著 ヨ リ

== 第一章・インド洋をこえてヨーロッパへ ==

この日録を精読すると、一通りの事情はわかると思う。しかし十数年前の船旅である。寄港地の事情も、旅客の感慨も、いまは相当違ってきているから、広瀬自身の手紙と兄嫁の日記をあわせて、これから多少の注解をほどこしておく。

上海までは 「サラセン」 号、そこから 「エルネスト・シモン」 号に乗り換えたことは、記事に出ている。
由来フランス郵船会社は客扱いに馴れている点、世界的な名声を博しているが、なかにも 「エルネスト・シモン」 号は宏壮美麗をきわめた会社自慢の船で、乗客も十分に満足した。ととにその料理の美味いこと、量の沢山あること──食い気一方の隊長である広瀬の満足が思いやられる。
海上が荒れても平気だから、いつも食卓について散々食い散らす。
「いくら食べても充分だという顔をしないね。この調子では、マルセーユに着くころは、一貫五、六百ぐらい太ること疑い無し」 とからかわれたぐらい、彼はめきめきと肥ってきた。軍令部や麻布のお寺で、定量の弁当飯ばかり食べていた頃に比べると、まさに乞食と旦那ぐらいの相違があった。
文部省留学生呉秀三 (クレシュウゾウ) 医学士、春木一郎法学士、私費留学生山本某が二等船客として乗っていたから、日本人同士面白く談笑して、いつも行ったり来たりしていた。呉と山本はジャワにわたるため、シンガポールで船を下りた。別のフランス船に乗ってヨーロッパへ行くのだそうである。

さすが、サイゴンでは、百度に近いと思われる程の暑さにいくらか閉口したが、航海中は案外涼しかった。
フランス船のことだから、さだめて外国人が多いだろう、どんなに窮屈なことかと案じていたが、思ったほどの事はなく、大いばりで乗りつづけた。一行の兄さん格村上大尉は、93年の春 「吉野」 の回航員として、ニューッカスルまで行ったことがあり、明敏な頭脳の、世慣れた人なので、おだやかな林大尉といつしょに、万事よろしく引き回してくれたから、大して失策らしいヘマもしなかった。
それにシナとの戦いに勝った直後だし、船の中でも肩身が広かった。日本人だとみて軽蔑する西洋人もいない。西洋人とはいっても、ポルトガル人などは、かえって喪家犬のような何とも憐れな取り扱いを受けていた。只一つ嫌だと思ったのは、西洋の女性の図々しい事だ。これから何年も、ああいう連中のなかに暮らさねばならぬかと思うと、どうにも嬉しい気持ちはしなかった。

ちょうど波は穏やかな季節であった。その文字を見てさえ蒸し暑い思いがする 「紅海」 も涼しいぐらいだったから、いい暑中休暇をしたと、同行の村上大尉や林大尉と笑いあった。
紅海に入る前のこと、コロンボ港に上陸した。ここはもと十分な港の形をしていない所であるから、人工の防波堤で波を防ぐ。横浜港の半分よりも小さそうに見えた。それでも船は十隻ぐらい泊まって入る。港内は湖のような静けさである。
道は素晴らしく立派で、花樹、香草、五色のクロトン、睡蓮の池がつづき、風が涼しい。
シャカの歯と髪とを祭ってある有名な寺院にお参りすると、参詣簿のなかに思いがけず 「広瀬勝比呂」 という名前を発見した。見慣れたその筆あとも、千里の外では何とも云えぬ懐かしさである。
ここは仏教の大変盛んなところであったが、何にもかもすっかり崩れ落ちている。到底信仰心など起こらない。子供の頃よく遊んだ竹田の西光寺や胡麻生の地蔵様の方が、もっとずっとありがたかった。

九月十三日の朝、スエズ運河に入ると、髪のように長くひくしずかな水に両方の岸が急に迫る。五マイルの速力で船が動いても音一つ聞こえない。熱砂は飛んで、風に影がある。右にシナイ山聳え、左に茫漠としたアフリカが横たわる。
運河のはずれポートサイドに夜着いた。朝の光の中で見ると、木が一本も見えぬ真平な砂地に大きな町が建っていた。九月三日には戦艦 「富士」 がイギリスから回航して、六日には無事この運河を通過した。一万二千余トンの大艦があんなに見事に運用できるのかと土地の人のほめ上げるウワサを聞くにつけても、日本のために肩身が広かった。

地中海の一夜、心地よく晴れた秋の空に月が何とも云えず清らかに輝いていた。この月色に誘われて思い出したのは、五年前軍艦 「比叡」 に乗ってニューギニアのそばを航海していた時、即吟した七言の古詩である。
なんだか雲井竜雄ばりで少し気が引けるが、笑うものは笑え。あの気持ちは今も同じである。便乗者のうちにいた有名な雑誌記者三宅雄二郎が、軍人にはめずらしい詩人だといって、ひどくほめてくれたが・・・・・・。
   航海月夜感慨歌
虎を認めて石を射れば箭羽を飲む
精気透徹すれば何ごとか成ら不ん
悲歌慷慨槊を横えて立つ
月色皓々夜三更
煤烟空に迸しり黒竜躍る
疾風檣を掠めて万索鳴る
茫々たる一碧天耶水
此間の意気長鯨を掣す
威は万国を圧す老西撤
気は四海を葢う歴山王
千古の英雄絶大の業
回顧月に向いて彼蒼に問へば
月不語兮天不答
天色月光両ながら茫々
像を撫し月に泣く感何ぞ窮らん
此意気有りて此功有り
遺烈は朽ちず幾千載
万古長へに仰ぐ雙英雄
噫矣吾も亦堂々たる一男児
平生の抱負は何ぞや期する所
鞣躬願はくば臣子の職を致さん
熱心天下の為ならんことを欲す
艱難辛苦は吾益友 盤根錯節是良師
唯恐る偸安徒らに日を消し
志業酬られ不ずして吾自ら欺かんことを
独り舷頭に立てば万感攅る
姓名何にひか留めん天地の寛
大声更に誦す翁の語
豈吾を妨ぐる有らんや亜伯山
ユリウス・カイザルが未だ志を得ない頃、アレクサンドロス大王の像を見て、王は私と同年の時、もう世界の大半を政略していたのだと泣いたという話がある。
その大王は、ガンジス河のほとりまで馬を進めた時、月を指して、もし道があればあの世界をも我が物にしようものをと泣いたという話がある。
このヨーロッパの両英雄の意気を賛美する気持ちから、ただ寂々とした月夜の中に黒煙をはいて進む艦上で作ったのだ。
あの時は無心で、ナポレオンの言葉を末句に用いたけれど、そのアルプスの山も、こんどは現実に仰ぎ見ることが出来るであろう。
・・・・・・クリート島が右舷の月夜の中に現れてきた。長年憧れていた 「西洋」 が、だんだん近づいてくる。彼は心の高まりを覚えた。

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