次の日リヨン湾に近づいた。爽やかな風が吹いている。船のマストを横切ってカモメの一群が飛んだ。黒い煙を吐いた何隻かの船があちらこちらを通っている。色とりどりの信号旗がマシトの上にはためいていたが、しばらくたつと、小さな黒い点々にかわって、あとはただ一筋のみおだけが続いていた。
乗客もそろそろ上陸の用意を始める。東雲の薄ら明かりの中にマルセーユ港が遠望された。
素晴らしい埠頭が現れた。各国の旗をひるがえした大きな船が一面に横付けになっているのが見える。
長い防波堤もはっきり視界に入って来た。始めて近々と見るヨーロッパの港である。若い広瀬の胸は躍った。過去の思い出と未来の夢想とが、一瞬の間頭の中でむらむらと入り乱れた。日付を見ると9月18日であった。予定より一日早かった。
「パリがカンヌビエールを持っているならば、小さなマルセーユになるだろう」 と土地っ子の自慢する街路をぬけて、港南の白と緑の石で造った後期ビザンチン式のノートルダム寺院から湾内を見下ろした。
美しい静かな海湾が一望の下に眠っている。その実景実感を、彼は即吟した。
馬耳塞神女閣 |
指呼南北又西南
此木此山地勢雄
人嘯天風神女閣
港都秋色両眸中 |
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一行は一等急行で北上した。時の単位は十二時間で切られず、零時から二十四時、即ち真夜中から真夜中までに区切られてあるのがききなれぬ印象を与えた。十九日朝九時、パリのリヨン駅に着いた。
マルソー大通りの日本公使館に挨拶に出る。栗野慎一郎が公使だった。海軍武官伊東義五郎大佐は、松代の出で、この時三十九才。西海艦隊参謀長として、
「扶桑」 にいたころ世話になったが、海軍大臣副官の前歴がものをいうように如才のない人柄で、ヨーロッパ通だった。若いフランス人を妻にしていたが、そのマリー夫人にわざわざ買出しをさせ、久しぶりで心のこもった日本食のご馳走を一行三人に振舞ってくれた。村上大尉はこれから伊東大佐の世話になるのである。
21日の夜汽車に乗り、22日の晩ベルリンに着いた。ティールガルテン街にあるここの公使館でも日本料理のご馳走を受けた。林大尉とはそこで別れた。
ところが、兄嫁春江の姉婿山形仲芸 (ヤマガタチュウゲイ) 医学士が、ちょうどベルリンに留学中だった。
この人は、福井の出身で、1881年に東大医学部を卒業、外科を専攻した。岡山医学校を振り出しに、仙台の第二高等学校医学部に長らく奉職し、この年三月そこの医学部長としてドイツ留学を命ぜられて、この都に来ていた。見るからに堂々としたかっぷくの持ち主で、人情に厚く、十一年下の広瀬をまるで親身の弟のようにもてなしてくれた。なかなかの酒豪である。
この縁者の海軍将校が酒をたしなまぬのをいぶかしく思うらしいが、ただ飲めば飲むほど温顔になるので、その人柄がしのばれた。
血色の良い顔をやや左から右へ回し、力をいれて斜め右でうなずくようにする。その首をかしげるのが期限のよいときの癖らしく、よくとおる声がすんでいる。
山形はその下宿でめずらしいうなぎの蒲焼をご馳走してくれた。かつぶしもだいぶ用意してきてますよ、と笑いながら言った。
広瀬は初めてふだんヨーロッパの行く先々の都でもてなされた日本料理から、暖かい故郷人の心をありがたく味わった。
ドイツの汽車は清潔である。二等車にもスプリングがついていて、乗り心地がとてもよい。
東プロシャの平野を横切りヴィスツラ河の谷間を上り、廿五日午後○時二十分、ロシア国境の町ヴィルバルレンに着いた。 税関で旅行免状や荷物の検査がひどくうるさかった。
三時発。これからは、ときどき見られる小さな村が、茅小屋や板小屋の集まりで、いかにも貧乏なロシア農村のわびしい景物に初めて触れた。
午後七時四十分、ヴィルナに着いた。ロシアの汽車は食堂がついていないから、停車時間を利用して晩食をたべた。
汽車はぐんぐん進んで松林の続く大平原地帯を急行し、9月26日午前10時任地ペテルブルグに安着した。
汽車がイズマイロフスキー通りのワルシャワ駅に着くと、その前日電報を打っていたので、公使館附武官八代六郎少佐が林公使の書生飯田を連れて、出迎いに来ていてくれた。
八代の宿はモスクワ区プーシュキンスカヤ街11番地にあるアパートである。このアパートは六十戸を収容している。その三階の一区画全部を、この先輩は借りきって住んでいた。
部屋は、台所を除くと、五つ、ロシア人の女中二人と留守居番のばあさんと、あわせて三人で使っている。
「折角空いているのだから、同じ所に居てはどうか、俺は六月の末イギリスに渡って、ヴィクトリア女王の即位六十年祝典の大観艦式に参列かたがた、新造戦艦
「富士」 の出来栄えを見てきた。フランス、ドイツを通って、ロシアに帰ってきたのは月初めだ。君の兄さんも今頃はイギリスに着いているだろう」
と、元気に話し、親切に世話してくれる。
日本語で思う存分話しが出来るだけでも愉快である。何でも親身の兄のように心置きなく相談できる。
それだけでも有り難いのに、食膳が豊かなので、健啖家の広瀬は文字どおりに満足した。
異境の旅空に居るとは、まるで感じられなかった。 |